[読書メモ]『勉強の哲学』
- 読書
- 2017/05/28 Sun 10:27
p10
現代は、まさしく「勉強のユートピア」なのです。
p18
勉強とは、自己破壊である。
p29
丁寧に考える必要があります。というのも、環境から完全に抜け出すことはできないからです。
p65
僕自身が、勉強を続けるなかで、単純に環境のノリに合わせる形では、つまり普通にはしゃべれなくなった、という実感がある。
p65
普通にしゃべれなくなった後、いわば「一周回って」環境にまた戻り、たんに合わせるだけではない形でそこに参加し直すことが、できるようになると思うのです。
p74
辞書的には、アイロニーは「皮肉」、ユーモアは「しゃれ」ですが、要はツッコミとボケのことだと理解してもらってかまいません。
p123
勉強というのは「問題意識をもつ」という、スッキリしない不快な状態をあえて楽しもう、それこそを享受しようとすることなのです。
p127
自分の状況は、大きな構造的問題のなかにあり、自分一人の問題ではない、というメタな認識をもつことが、勉強を深めるのに必須である。
p137
比較は真剣にやり始めたらきりがない。
p145
決断主義は避けなければならない。
p164
男の子にとってメジャーであるスポーツは嫌いだった。
p175
「まとも」な本を読むことが、勉強の基本である。
p180
読書において本質的なのは、本の位置づけを把握することです。
p181
新しい言い方=考え方にノることで、自分の「感覚を拡張する」のです。
p182
授業を聞くときのポイントは、多くを吸収しようとすることよりも、教師が「いかに工夫して少なく教えているか」に敏感になることです。情報の有限化がポイントなのです。/教師は、まずは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である。/その有限化された情報を軸として、自分でさらに本を読み、調べながら勉強を深めていく。
p183
勉強をイヤにならずに続けるには、「完璧主義」を避ける必要がある。
p185
多くの他者の意見(つまり、他者の勉強の成果)をふまえずに、何か環境のコードを押しつけていたり__「三十代のビジネスパーソンはこうあるべき」といった押しつけは、日本のどこかの会社=環境のコードを、不当に一般化している__、あるいは、自分勝手な決めつけをしている__つまり、決断主義的に決断している__ような語りは、どんなに有名でカリスマ的に人気がある人のものでも、勉強の足場にすべきではありません。
p185
勉強の足場とすべきは、「専門書」です。もっと限定すれば、学問的な「研究書」です。
p199
ある概念や考え方が、「誰のどの文献によれば」なのかを意識し、すぐに言えるように心がけてください。そのために、読書ノートをつける必要がある。何という文献に、文字通りにどう書いてあったのか、何ページなのかを明確に書き、それと区別して、自分の理解をメモしておく。勉強を続けるというのは、そのように「出典」__文献の名前とページ数、さらに出版年など__を明記した読書ノートをつけ続けることです。
p201
勉強の経過をノート(アプリ)に書くことは、勉強の継続にとって、重要です。
p204
アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない。
p226
ドゥルーズ&ガタリが言うところの「リゾーム」(横断的な関係づけ)
p234
勉強はいつでも始められるし、いつ中断してもいい、ということ。
p236
多趣味であることを「徳」とする価値観を、僕は父から継承しました。
【印刷ミス?】
・p148 の5〜6行目にやや薄くなっている部分がある。