p5
21 世紀の今日、目に見えない神の存在を信じ、(修道会の神父やシスターの場合)私有財産を持たず、生涯をキリスト教の宣教(布教、伝道)のためにささげている人たちがいるなど、にわかには信じられないかもしれません。

p14
「わざわざ教会に足を踏み入れなければ教えてくれないなら、あえて知るほどのことでもない」と思っている人も多いのではないでしょうか。

p15
映画(特に邦画)やテレビドラマ、漫画などで描かれるキリスト教の多くは、モチーフとして使われているにすぎず、リアルな実体とはかけ離れている場合が多いので、「別物」としてとらえたほうがよいでしょう。

p31
クリスチャンの人口は、日本では「1% 未満」ですから、教派や地域が違うとは言っても、友人の友人は知り合いであることが多いものです。

p35
特筆すべき最近の傾向としては、比較的アットホームな雰囲気を重視し、信者間の交流や奉仕活動にも積極的なプロテスタント教会で人間関係に疲れたという信者が、比較的淡泊なカトリック教会に移る事例が増えていると聞きます。

p41
教会に集まっているクリスチャンは、経済的にも精神的にも余裕のあるインテリ富裕層(とりわけ高齢者)に限られがちという側面があります。

p50
牧師にとって大きな課題となっているのは、プライバシーの問題です。24 時間 365 日、休みなく教会の信徒や来客の目にさらされ、住まいも教会と同じ敷地、あるいは同じ建物内というケースも多い[…]ため、仕事との境界線を引きにくく、とりわけ家族に対しさまざまなかたちで負担がかかる場合があります。

p51
ホテルやウェディングチャペルなどの式場で司式をしている牧師、神父は、ほとんどがアルバイトの「ニセモノ」です。

pp57-58
聖書でいう「愛」は多くの場合、いわゆる「恋愛」(エロース)ではなく、ギリシャ語のアガベーにあたり、罪人である人間に神が注ぐ自己犠牲を伴う愛を意味します。[…]ホテルなどで結婚式を挙げるアルバイトの司式者は、この「愛」を混同して話す場合が多々ありますので、注意深く聞いてみてください。

p59
男性の場合、名前の後に「兄」と書いて「○○きょうだい」と呼び、女性の場合、名前の後に「姉」と書いて「○○しまい」と呼びます。

p61
教会では、説教をする牧師や神父を、神の言葉を「取りつぐ者」と表現します。

p64
導き[…]仏教で「ご縁がある」と表現される内容を、キリスト教的に言い表すとこうなります。

pp103-104
原理主義的なプロテスタント教会ですごく生きづらくなって普遍主義的なカトリックの教会へ来る人は多いです。

p111
同志社の神学部では、牧師志願者はギリシャ語を履修しますが、それ以外の人はヘブライ語もギリシャ語も必修ではないので、「そこ(同志社)を卒業して牧師?」みたいに軽蔑されることはあります。

p113
1週間、いつでも休んでいるといえばいつでも休んでいる。いつでも働いているといえばいつでも働いている感じ。

p117
「福音派」は、基本的にお酒はだめですね。牧師はもちろん信徒もだめ。「酒に酔ってはいけない」と聖書にあるからという理論です。

p117
「こんな若い子に飲ませる大人がいけないんです」と勧めたほうが怒られていました。

p117
もちろん飲みますが、場所と相手は選びます。まじめな信徒さんだなと思ったらセーブしますし、逆にこの人は本音でつき合いたいタイプだなと思ったら、ありのままの自分を出します。

p119
日本史におけるフランシスコ・ザビエルや、世界史におけるルターのような、カトリックとプロテスタントが別れた歴史的経緯しか知らない人の場合は、カトリックのほうが何か原理主義的で厳しいと思っていると思います。

p122
彼女に打ち抜かれたわけです。宇宙に包まれたような。器が大きいと思った。最初は「すてきな女性だな」というところから入ったのですが、「こんな器のでかい人間がいるんだ」と思って、以来、包まれっぱなしです。

p125
コントロール不能になるぐらいなら、日頃自分が本当に好きなことをやっていたほうがいいですね。

pp126-127
お父さんはヨーロッパ文化やミュージカルが好きな方で、キリスト教の牧師に何も偏見を持ってはいませんでした。

pp133-134
正直言って社会音痴です。高校生のころ、親父の会社に用事で行ったときに、何かコンプレックスのようなものを感じて、「ああ、自分はこういう世界では生きていけないんだ」と思い、自分には入ることが許されていないような世界という印象がありました。

p134
逆に、世間知らずだからこそというか、社会に洗脳されなかったから、今、こういう眼差しを持てているんだという誇りはあります。社長だろうが会長だろうが、何が出てきても平気。

p140
牧師は代表役員だから退職金もない。国民年金で国民健康保険。その年金すら入っていない人もいます。

p189
世俗的だからと、クリスマスをやらない教会まである。

p193
現実はグラデーションだから、線は引きようがないと思いますが。

pp204-205
信者でない者同士が結婚式というのは、世界的にはごく稀です。日本は特別にそれを許してもらって、宣教のチャンスとしています。

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