記念日が嫌な理由が分かった
Mon, 31 Oct 2022 06:23
2 minutes
僕はこれまで記念日が嫌いだった。誕生日、クリスマス、バレンタインデー、父の日、母の日などなど、年中いろいろな行事が用意されているじゃないですか。あれが嫌いだった。
でもなぜ嫌いなのかうまく言語化できていなかった。お仕着せだから嫌いだ、ということにしていた。記念日の定義は自分で決める。他人が決めるものじゃない。そう考えていた。
それを別の言い方で説明できると気付いた。
それは、「記念日を祝うことが reactive だから嫌だ」ということだ。
要するに、「今日は xyz の日だから祝いなさい」と向こうから勝手に決められて、それに<反応>するだけだから。そこに主体性など存在しない。なるほど、僕はそこが嫌だったんだ。僕は proactive に生きたいのだ。
サラリーマン時代はずっと主体性が奪われていた。常に reactive で上司の言う言葉に振り回されていた。reactive だったのだ。そこから僕はフリーランスになって proactive な生き方を選んだ。
なお、記念日を祝うことがダメだと言っているわけじゃない。例えば誕生日なら、1年ごとにじゃなくて、例えば 1000 日ごととか、100 日ごととか、自分で決めればいいじゃないか、という話だ。なお、僕は息子の生まれてからの日数や月数を自動計算して毎朝メールで知らせるようにしている(FileMaker を使っている)。これで 2000 日目祝いなどができる仕組みだ。
サラダ記念日 (河出文庫) | 俵万智 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
https://amzn.to/3DpyPr2