私が翻訳をやめた理由
私は映画の字幕翻訳の世界に憧れて、大学院生時代は東京の翻訳学校に通っていた。
学校に通っている間から翻訳の仕事をもらえたりしていた。サラリーマンをしていたときも、その時のツテで仕事をもらっていたりもした。会社には内緒の副業だった。
私から仕事をくださいと言っていない。コンピューター分野にある程度詳しいので、その分野の仕事を優先的に頼まれたのだ。
しかし数年前から翻訳の仕事はやっていない。声が掛かっても断るようにしたら、もう仕事が来なくなった。あれだけやりたかった翻訳の仕事なのに。
仕事を断るようにしたのは、翻訳という仕事の性質として<人に使われるもの>だから。私は人に使われるのが嫌だ。主体的に付加価値を生み出していきたいのだ。
特にサラリーマン時代に実感したのは、多少でも英語が分かったりすると、<語学屋さん>にさせられるということ。それが嫌だった。私のスキルを活かしてもらえるというより、嫌な英語の仕事を押し付けられる、といった感じだったからだ。
自分の中の「嫌だ」という気持ちは大切にすべきである。嫌だと思ったらやらなくていい。だから翻訳の仕事はやらなくなった。
しかし、翻訳そのものは好きであることに変わりはない。
だから、主体的に<これを翻訳して日本のみんなに伝えたい>という仕事を見つけ、自分で「やります」と手を挙げるようにしている。仕事を自分で生み出しているわけだ。人から言われてやるわけではない。
そうやって数年前に、YouTube で好きなミニドラマの字幕翻訳をした。YouTube では自分で翻訳した字幕を(承認されれれば)採用してもらえる機能があり、これを利用した。なお、現在の YouTube ではこの字幕投稿機能はなくなっている。
翻訳に限らず私の普段の仕事も、基本的に人に言われてやる仕事はほとんどない。自分でやりたい仕事を生み出している。単なる下請けは嫌だからだ。
自分で生み出した仕事でもっと成功していきたい。