[読書メモ]『情報生産者になる』

p20
二次情報は second hand と呼ぶように、いったん他人の手を通って加工ずみの情報です。セコンドハンドを略して「セコハン」というように、つまり中古情報です。他人の手でいったん加工された情報はすべてセコハン情報です。新聞や雑誌、ブログなどのメディアから得られた情報は、すべてセコハン情報です。/セコハン情報の収蔵場所が、図書館というところです。

p22
オリジナルな問いと言っても、まったく誰も立てたことのない問いなんて、めったにありません。

p39
インサイダーになればデータへのアクセスが持てるでしょうが、そうなったら今度は手に入れたデータを公開してよいかどうかのハードルが高くなります。

pp45-46
当事者研究は、自分が自分の専門家、という立場です。女性学は、女が女の専門家だから、女の研究をしようと、女が学問の客体から学問の主体へと転換したことによって成立しました。

p64
「批判的」とは、そこにあるものではなく、そこにないものを見抜く力を言います。

p104
主観的な問いに、経験的な根拠を示して、有無を言わせぬ結論に導く・・・・・・のが、経験研究というものです。

p143
日本で生まれたのが当事者研究です。

p153
KJ 法は経験的な根拠にもとづいて、たしかなアウトプットを出すことのできるたいへん実践的な質的データ分析の手法です。しかも誰がやっても一定の水準の情報処理が可能です。

p161
KJ 法の原理はとてもシンプル。情報をいったん脱文脈化したあとに、再文脈化するだけ。

p187
面接調査でむずかしいのは、始めることより切り上げることです。

p263
京大式カードやオーバーヘッドプロジェクターでのプレゼンは、いわば紙芝居のようなものです。

p266
初学者の陥りやすい過ちは、知っていることをすべて書きたくなることです。

p272
引用は本文中でここぞ、というところで1回だけ、使いましょう。

p274
メディアやネットのなかには二次情報があふれています。それを器用に切り貼りしただけのレポートを、「総合学習」などの名で中学生や高校生にやらせるのは、研究の名に値しません。

p322
論文を書くということが一つの政治的実践である以上、自分を含めたそうした政治の当事者たちにどういう効果をもたらすのか、ということは無視できないことです。[…]書かれた論文を「当事者」が読んだときにどう反応するであろうか、それに対して自分はどうすべきなのか、ということは、忘れたはならない問題です。

p334
パワポの時系列に縛られて、臨機応変に話の流れを変えることもむずかしくなりました。

p336
パワポが進化すると、見るも華麗な操作でアニメーションや音声を取り入れたプレゼンをする学生も登場します。ですが、そういうプレゼンに限って、なんだかだまされたような気がするものです。あれよあれよと話が進んだが、ほんとにそうだったのかな、と。

p345
やさしく書くこととレベルを下げることは違います。

p348
アウトプットには魔力があります。一度アウトプットしたものを、ふたたび書き直すことはきわめて難しく、早めに自分の研究成果をアウトプットすることには、成熟を待たずに果実を収穫するようなリスクが伴います。

p351
世の中にはたとえタダでも自分のメッセージをより多くの読者に届けたいと願うひとびとがいます。

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