[読書メモ]『黄金のアウトプット術』
p4
プロから提供される食に満足してしまって、そこで思考停止に陥っている人もいる。/そういう人に限って、出された皿の写真を撮り、スマホのカメラロールの肥やしにしたり、SNS にアップしたりしている。
p5
外食時の写真を SNS で公開するのは、ただの記録であり、また自慢にすぎない。
p6
アウトプットを前提にすると、インプットががらりと変わる。
p6
得た情報をどう発信して、自分の血肉とするのか、価値あるものに変えていくのか、もっとわかりやすく言えば、「お金」に変えるのかを意識せよ。
p21
処理とは、与えられたルールに則(のっと)って何かをすることであり、編集とは、与えられたルールに則り、その上で、その結果を受け取る側のことまで考えて、アウトプット化することだ。
p24
SNS をアクティブに使っている私のような人間にとっては、SNS を使っていない人間は、この世界に存在していないに等しい。/そういうほとんど存在していない人間に、誰が声をかけるだろうか、プロジェクトに誘うだろうか、仲間になろうとするだろうか。
p31
インプットするだけの人が1万人いるなら、アウトプットもしている人は 10 人にも満たないというのが私の実感だ。
p32
ただ 100 メートル走を見ているだけの人と、実際に走ってみる人との間には埋めがたい溝がある。
p34
アウトプットはフィードバックが得られる場ですべきである。つまり、オープンな場だ。
p35
外からのフィードバックは、アウトプット上達のための最高のアシストになる。
p36
「いいね!」ボタンをクリックしたりタップしたりすることは、誰かのアウトプットに頷いているにすぎない。
p36
相づちや合いの手だけを並べても、なんのクリエイティビティも感じられない。
p37
反対意見を言うのは気楽で無責任。
p37
アウトプットはリアクションではなく、アクションだ。自分から起こして、誰かのリアクションを引き出すきっかけだ。
p50
私は、小中学校で書かせる読書感想文も、「読書感想文」として、どうおもったかよりも、どんな内容だったかの説明をさせるほうがアウトプットのトレーニングになるのではないかと思うのだが
p51
紹介文が上手く書けるようになるだけで、世界はグンと広がる。
pp62-63
文章中に「アウフヘーベン」が出てきたら、それは、賢いと思ってもらいたがっている人間が書いた文章だと思ったほうがいい。
p63
平易な言葉に置き換えればいいのに、わざわざ目くらましのような言葉を使う文章には要注意だし、そういった文章を書くことはまったくすすめられない。使う言葉は一般的であればあるほどいい。
p69
読む側はスマホで読む。/こうなると、段落の最初の字下げにはほとんど意味がない。
p69
スマホとなると、その1字下げはレイアウトを狂わせる可能性が高い。
p70
芸能人のブログのように、あまりにも改行しすぎるのも考えものだ。あのような文章に付き合わされると、頭の回転が遅くなってしまうように感じられる。
p72
漢字をかなにすることを業界用語で「ひらく」というが、どんどんひらいていく。
p75
接続詞は積極的に使ったほうがいい。読む側を迷わせずに済むからだ。接続詞を多用することは、読み手のリズムを整える助けになる。
p78
モニタを2つ用意して2画面にする、パソコンそのものを2台用意して、検索用と執筆用をわけるのがいいだろう。
p78
上手い文章を書こうとしてはいけない。/目指すのは、わかりやすく、誤解されない文章だ。
p86
話をすることは文章を書くことよりも難しい。/文章のほうが難しいという人もいるが、それはたいてい、書くことを必要以上に高尚なことだと思い込んでいるか、話すことを誰にでもできる簡単なことだと思い込んでいるか、どちらかの結果である。
p87
話し下手な人は、単に、準備の必要性を知らないだけの可能性もある、というより、その可能性が高い。
p102
話し手が「これがオチです」と表明しても、聞き手がそれをオチと認識しないことは、まま、ある。悲しいすれ違いだ。
p102
とってつけたようで構わない。なぜならそれは「急になんですか」という反応を引き出せるからだ。
p102
アウトプットするということは、それを受け取る相手の頭の中を操作することだ。
p111
資料を配付しないほうがいい理由のもう一つは、資料が一人歩きする可能性があることだ。
p112
[プレゼンで]なぜ、座ったままでは駄目かというと、まず、生命力不足に見えてしまうからだ。
p127
ビジュアルは、成毛眞などの文字列よりも人の記憶に残りやすい。残すためのタグとして、ビジュアルを活用するのである。
p130
なぜエイジングのペースを緩めたほうがいいのかというと、年相応には、いつでもなれるからだ。
p150
落語家は今、800 人ほどいるといわれている
p158
本を書く側は、黙読されることを前提に書いている。
p162
SNS は、ありとあらゆる人に同じように発言権を与えた。それは素晴らしい知見がシェアされやすくなったことであり、それ以上に、くだらない言説が世の中に広まりやすくなったことでもある。
p162
書籍は、ある程度の知見のある人が書いていることが多いので、くだらないものが混入する割合は低い。
p174
アウトプットは SNS で、インプットは書籍やテレビから。
p178
意外と、あっさり会えるかもしれない。もちろん、あっさり断られるほうが多いだろう。しかし中には、会ってくれる人もいる。断られると思うからアプローチすらしない人が多い中、あえて会いたいと言ってくる素人に興味を持つ人は必ずいるのだ。
p182
相手のことをろくに調べずに話を聞きにいってはならない。相手に失礼とかそういう以前に、時間がもったいないからだ。
p186
人材も股、育てる人のアウトプットだからだ。
p187
素朴すぎる質問は、ときに相手をビビらせる。
p202
私は会社をやめるべきだと思う。そして、自分の体を使って経営とは、仕事はどういうものかを見せられるように、起業をすべきだと思う。