[読書会]『大衆の反逆』
- 読書
- 2018/02/24 Sat 07:20
今月参加した読書会の課題本はオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』。
難しそうなので参加するのはやめようかなと思っていたけど、とりあえず読んでみることにした。Amazon で検索すると、簡単に手に入りそうなのがちくま学芸文庫と中公クラシックスから出ている。発行年を調べると中公クラシックスの方が新しいので、翻訳が新しくて読みやすいはず。ということで、中公クラシックス版を購入。
しかし、読んでみてもさっぱり分かりません><
そんなわけで、ちくま学芸文庫も読んでみることにした。こんな感じで複数の出版社の本を読み比べるという術は、シャーロック・ホームズを読む際に身に付いた習慣だ。
最終的には中公クラシックス版とちくま学芸文庫版をそれぞれ2回ずつ、計4回読んだ。さらに、オルテガの他の著書(『形而上学講義』と『狩猟の哲学』)も読んだ。最初はさっぱりだったけど、おぼろげながら分かってきた感じがした。やはり何度も読み、関連本まで広げることは大事だ。
たいして理解できていないなりの感想としては、この人(=オルテガ)は大衆をバカにしてるなあという印象を持った。大衆はバカで厄介な存在であり、そういう連中が増えてきた。まあ、基本的には私は同じような意見を持っているかも。
さらに、人ってのは群れると興奮する生き物である。そういう時って IQ が下がるんだよ。それに、群れた集団というのは排他的である。群れるのが嫌いな私には多数派には絶対に与しないぞと思ってしまう。
この本を読むと、文明は進化しているのかという素朴な疑問も持つ。歴史を重ねて知惠を増やしているはずの人類だけど、過去最高だろうか。テクノロジーが分かりやすい。便利になるけれど、同時に便利ゆえに何も考えなくなって、どんどんバカになっているのではないか。映画『ウォーリー』の描く未来図みたいに。
スペインの人の本を読むことは滅多にないから独特の視点が面白かった。特に「ヨーロッパ最高!」みたいな考えが新鮮だった。アメリカなんて新興国扱いだし、ヨーロッパに代わって主導権を持つ地域などないとまで書かれている。
自己啓発書としても読めなくもない。「人生は何かに掛けなくちゃいけないんだ」「頭脳明晰であるためには、人生の道を見失うな」みないな言葉があるからね。
私は愚民が増えることは仕方がないことだと思う。少数のエリートが社会を動かせばいいんだよ。大衆なんて簡単に操れる。だからノブレス・オブリージュのような思想が好きだ。
それでも、バカな大衆を底上げする方法もなくはない。時間と手間が掛かるようで、実は一番確実なのは教育だ。もちろん、そういう教育システムを設計するエリートが必要だし、そういうシステムを受け入れるように大衆に働きかけなければいけないんだけど。
最近別の本で読んで面白かったのが、自衛隊を少数精鋭の組織に変えるという話だ。金だけ掛かる現在の巨大組織を維持するよりも、1万人の特殊部隊にしてしまう。それで世界最大の特殊部隊になるし、核武装に代わる抑止力になるのだそうだ。少数者がリードする一つの形ではないだろうか。
この頃強く意識しているのが、人生は「プレイヤー」になることで成功へ繋がるということ。私が読書会を自分で主催する気になったのも、単なる参加者じゃなくて、プレイヤーになる上で当然のことなのかもしれない。そしてその他大勢に流されて、やりたくないことをしないようにもしている。「私がちょっと我慢すればいいか」とやりたくないことを我慢してやってしまうのが人の常である。しかし、それでは凡人であり大衆だ。だから私はちょっとでもやりたくないと思ったらやらない!
また、気付いたのがイベント等での記念撮影(集合写真)というのは悪しき行為であること。運営側は意識してやっているかどうか分からないけど、参加者にとって記念撮影は「駒の一つにすぎない」という意識を強化されてしまう。まさに、プレイヤーとは真逆である。写真は広告に使われ、主催者だけが「自分はすごい」と思うだけで、参加者にとって何のメリットもない。何も考えず当然のこととして記念撮影に参加してしまう「大衆の皆さん」を横目に抜けだそう(私はやりたくないことから抜け出す技術も最近練習中だ)。
昨年は運営側として読書会に参加していたが、任期を終えて今回は一参加者となった。気楽に参加できたたせいか、今回はいつもより読書会を楽しめた気がする。いや、一参加者になったことで「大衆」になったのかも・・・。