[読書メモ]『大学教員 採用・人事のカラクリ』
p35
「職がない」とか「公募の倍率が高い」とか「指導教授が無能」とただ嘆いたり、「世間が悪い」などと日本社会を呪うだけでは、大学教員になる道は拓(ひら)かれない。
p50
学歴ロンダリング的に、Zレベルの地方私大から京大の修士課程に進むなど、企業や官公庁サイドからも評価されうる進学も、修士レベルではありえる。
p66
大学という組織は前例重視であり、標準作業手続き(Standard Operating Procedure=SOP)にもとづいた準機械的な決定を好む。
p68
[私学は]国公立大と比べるとST(教員―学生)比が悪いために、ポストを1年以上も空けておく余裕のある所は少ないので、補充人事は国公立大よりも早めに行われる傾向がある。
p88
自分の論文を”ディフェンス”しなくてはならない。
pp90-91
このような雑誌では、査読(レフェリー)制度が確立している。つまり、複数の匿名査読者の peer review(同分野の専門家による論文などの評価)により、「そのままアクセプト(学術誌に掲載予定になること)」「修正の上でアクセプト」「アクセプト不可」などの基準がはっきりしている。
p217
研究に関して、ドケチだとなかなか成果を挙げるのは難しい。
p219
自由な発想は、自由な時間・環境から生まれやすい。
p234
優秀な学生を教えることはラクだ。のみ込みの早い優秀な学生を教えるなら、ある程度「放任主義」でもまったく問題なく、自主的に学習してくれるだろう。
p256
専任大学教員になるには、やはりある程度の共通項が見い出されるという事実だ。採用サイドとしては、履歴・業績書や学会などでの評判で、「この人は決まるな」とか「できるし、優秀だな」と感じた候補者は、その時に決まらなくても、何年か経ってみたら、最終的にはポストを得ているという話もよく聞く。/たとえば、ある大学で公募採用人事を行ったところ、おもな候補者として、4名程度がリストアップされた。いろいろな要素を勘案して、面接候補者を2人に絞り、1人のみが採用された。ところが、残りの3名も10年ほど経ってみると、それぞれ別の大学の専任教員なっていたという。そのうちの何人かは、よりレベルの高い有力大学の専任教員として活躍しているとのこと。/このように、たとえ競争率が数十倍や3桁の公募でも、最後の数名に残るようになったら、あとほんの一歩なのである。運もあるだろうが、地道に努力していると、最後は報われる見込みが確実に高まる。