東大の修士課程に行ったこと

僕は大学院は東大に行った。どうしても東大で学びたいことがあった__わけではなく、東京に行きたかったからだ。学部生のころ映画の字幕翻訳者になりたくて、そのための翻訳学校が東京にあったからだ。

大学受験で2浪し、第1志望に入れないまま入学した理系の授業に身が入らなかった。でも休学して留学したイギリスで言語学の魅力に気付いて、留学後に文学部に転学部をした。ずっと理系だった僕にとって文系に移ることは大きな変化だったし、理系の素養がある文系学生であることは強みだった。これはのちに翻訳者として仕事をする上でも強みとなる。翻訳者になろうとする人は英語好きの文系出身者が大半だからだ。

大学院はたしか4校ほど受験をしたが結局すべて合格した。これは僕が優秀だったからでは決してない。大学院入試はもともと受験者が少ない。東大の僕が受験した研究科ですらそうだ(たしか受験者は 30 人程度)。そして大学側も人がほしいから、簡単に入学させてしまう。実際僕は試験はあまりできなかったが、なぜか合格して驚いた。

のちに大学事務職員になって分かったが、僕が勤めていた大学では点数に関わらず受験者を全員合格させていた。日本の大学院入試なんてその程度のものなんだよ。

だから入りたい大学があるとか、あるいは有名大学の学歴がほしいのなら大学院受験がおすすめだ。それがいいかはともかくとして。一般の人にとって学部だろうが大学院だろうが、例えば東大出身というだけですごいと思われる。あるいは学部入試に落ちても絶望しなくていい。いくらでもやり直しはできる。

東大大学院に受かると親は喜んでいた。親はたいして仲良くない人も含めて知り合いじゅうに電話して宣伝していたのが恥ずかしいからやめてほしかった。でも僕自身は合格はなぜかたいして嬉しくなかった。入試がいまいちだったので、なぜ合格したのかもよく分からなかったし、東大自体に特に入りたい強い動機がなかったからだと思う。

大学院では、学部から入った人と大学院から入った人でひっそりと差別のようなものが存在することもあるらしいが(もちろん大学院から入った人のほうが格下だ)、僕自身はそれを感じることはなかった。ましてや一般の人にはそんなことは分からない。東大生ということでひとくくりにされる。

僕はだいたい駒場キャンパス(渋谷の近く)に通っていた。たまに本郷キャンパス(上野の近く)に行くこともあったが、基本駒場が中心だ。だから駒場キャンパスから歩いて数分の場所に住んでいた。ちなみに就職してからも職場から歩いて7、8分の場所に住んでいた。大学や職場の近くに住むのが行動力を最大化するためにも大事だと思っていた。あと大学時代は東京の通勤ラッシュに巻き込まれたくなかったので歩いて行ける場所に住みたかった。

東大に入る前はどんなすごい学生がいるんだろうと思っていたが、意外と普通な人ばかりだ。超人のような人には出会わなかった。付き合う人が少なかったからかもしれないが。

でも話が面白い人の割合が多い気がする。いろんなことを知っているからだろう。

東大に行くと有名人に気軽に会える。テレビでよく見るロバート・キャンベル先生をキャンパス内で見かけたことがある。20 歳前後に夢中になって著作を読んでいた立花隆さんの講演会にも行けた。

学園祭では勝間和代さんの講演会に行った。勝間さんが最近の複数の著書を挙げて「これらの本を読んだ人?」と聞いてすべて読んでいた僕は手を挙げた。意外と周りの東大生は読んでいないのは驚きだったし、ちょっと恥ずかしかった。

東大生独特のメンタリティーに気付いたエピソードはある。ある講義で先生がなかなか来ないことがあった。僕がオンラインの休講情報を調べたら休講になっていた。当時はまだ iPhone が出たばかりでスマートフォンが一般化していない頃だったし、ネットで休講情報を調べるのは少数派だったのかもしれない。僕はすぐに教室を出ることにしたが、他の学生は授業開始からずいぶん経っているのに席を離れようとしない。おそらく(学部の)東大入試をくぐり抜けるような真面目な学生は我慢強いんだと思う。「帰ればいいや」と教室を出ず、ぐっと我慢して待っているのだ。

僕も基本的に我慢強い方だ。限界まで我慢してしまう。でも我慢なんて前時代の発想だ。僕は就職して職場のパワハラやいじめを我慢していた。我慢はバカがすることだ。今の僕は1秒でも嫌だと思ったことはしないよう心がけている。

英語の授業のティーチング・アシスタント(TA)のアルバイトを募集していたので、入学してからたしか1年間は1年生の英語の授業の補助をしていた。僕にとっては授業後に TA 専用の教室で提出物の取りまとめなどをするのが好きだった。それは TA を通じて、大学院生活で唯一友人と呼べる人ができた場所だったからだ。

TA は1年間の終わりにお疲れ様会として飲み会があった。場所は渋谷で、TA の仲間と一緒に歩いて行った覚えがある(渋谷はキャンパスから2駅の距離)。友人は哲学を学んでいた。東大で哲学を学ぶ学生は飲み会での話も哲学なんだよ。「カレーに合わない具は何か」について延々と話している。最後の方で「答えはないんだけどね」と言っていた。議論のための議論をしていたのか。

さて修士論文に関しては僕は提出期限ギリギリまで身が入らず、かなり出来の悪いものを出したと自覚している。前述の通り僕は大学入試で2浪している。しかもそれは父親に強制された医学部受験だった。僕は大学受験以降、「少しでも他者の強制を感じる勉強」ができなくなったのだ。全然やる気が出ない。親に取得せよと言われた運転免許だって試験に3、4回落ちてやっと取得した(その後免許証は返納している)。大学院でも好きな言語学の勉強であっても、学校という枠組みに強制されている気がして身が入らなかったのだ。

自動車免許証の自主返納手続きをした
https://dokusho.nary.cc/2017/09/22/giving-up-driving-licence/

大学院の勉強に集中できなかったから僕は半年休学をした。その間に東京で少しアルバイトをしたりした。だから、通常2年の修士課程を2年半で終えた。合計3年間東京に住んでいたことになる。

この「勉強に身が入らない症候群」は近年になってやっと克服できてきた。コンピューターや語学といった、本当に心から好きなことの学習ならばどんどんやれるようになった。

勉強に身が入らないし、大学内でも居場所がない。行き詰まった感じがしたので、大学内の学生相談室を利用し、定期的にカウンセラーの先生と話をしていた。

話を修士論文に戻すと、指導教員の先生が幸か不幸か学生を放置するタイプだったことも修士論文が自分で頑張るしかなく早めに取り組めていない理由だった。そして博士課程に進まないと伝えていたので、ぞれも先生が指導に手を抜いていた要因だったと思う。僕としては学部生のレポートレベルの修士論文だったが、なんとか単位をくれて無事に修了できた。

なお修士論文は提出締め切り1ヶ月前からやっと構想を練り始め、書き始めたのは1週間前から。執筆中に Windows パソコンが壊れて Macbook Air を買いにいったりした(なぜかそういうギリギリのときに限って初 Mac に挑戦したりしていた)。

大学院生の間に映画館通いの習慣ができ、年に 200 本観ていた。これはサラリーマンになっても同じペースを維持していた。結婚し子どもができた現在ではさすがに同じことはできないが、それでも人よりは多く映画館に行っている。

大学院時代に「そうだ、映画館に関する本を書こう」とひらめき、修士論文そっちのけで本を1冊書いた。当時は今の手軽な Kindle 出版のようなものがなかったので、アメリカのセリフパブリッシングを利用した。

大学院生時代は翻訳学校に2年通っていた。翻訳学校の授業には不満だったが、前述の通り理系、特にコンピューターに強い僕は女性ばかりの翻訳学校で重宝されたらしく、コンピューター関係の仕事を翻訳学校に通っているころからもらえていた。それはその後も継続し、サラリーマンになってもこっそり副業としてやっていた。結局翻訳の世界からは離れることになったが、とりあえず翻訳学校に行けて、翻訳の仕事に関われたので、東京に行ったことは間違いではなかった。

就活はそれなりにしていた。最初は会社になんか入りたくないと思っていた。こわいじゃないですか。でも当時公開された映画『インセプション』を観て、なぜか「頑張ろう」という気になり就活を頑張った。

一度内定を取れた特許事務所があった。でも父が2ちゃんねるか何かでそこはブラック企業だと騒ぎ出し、試しに1日入社体験をさせてもらった。昼食は社長も一緒に食べたがそこで僕が大学の授業に身が入っていないので中退するかも、などと余計なことを言ったせいで、その場で内定取り消しになった。

その後就活は大学事務職員に絞ることにした。アカデミックな場で働きたいと思ったからだ。リクナビなどは利用するのをやめ、ちょうど大学事務職員の就職案内サイト(たぶん個人が作っているサイト)に掲載された大学に片っ端から履歴書を送った。それこそ北は青森から南は沖縄まで日本中の大学に就活試験を受けに行った。でも大学院を修了しても就職先が決まらず、半年経ってやっと就職先が決まった。

就活で最終面接にたどり着いたのは(前述の特許事務所を除き)2大学のみだった。そのうち1校に合格して就職することになったわけだ。

博士課程に進む道もあったが、大学院まで行ってはっきりと分かったのが僕は大学という場で勉強することが好きではないということだ。僕は自分で勉強するのが好きだ。そして勉強は大学以外でもできる。

東大出身であることはサラリーマン時代にも目立つ要素となる。そして「勉強ばかりしていたやつ」として(実際はあまり勉強はしていなかったのに)僕は格好のいじめのターゲットとなった。佐藤優さんの著書では、高学歴出身者なら勉強が推奨される環境の職場、例えば新聞社や出版社などに就職するのがいいという。(昔の僕もそうだったように)普通の人にとって東大は雲の上の存在であり勝手なイメージで決めつけをしてくる。

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