[読書メモ]『子どもから始まる新しい教育』(マリア・モンテッソーリ)
p12
子どもを助けることを、子ども自身は望んでいないこと。つまり援助することは、子どもの妨害になるということに気づくのです。子どもはこの自由な環境で、干渉されずに自らの判断で行動することを許されなければならないのです。
p29
自己尊重感のある人が、誰かに寄生したいと思うでしょうか?
p30
ある米国の億万長者の息子が自分で生計を立てようと家出をしました。見つけられたとき、彼はジャズバンドで働いていました。以前、彼は素晴らしい条件の家に住み、車や必要なお金もすべてありました。しかし今の彼は毎週八ドルという生活費を稼ぐことに本当に満足して暮らしています。/何故でしょう?/それは、自分の人格を感じ、それが価値あるものとわかったからです。ジャズバンドを続けたかって? いいえ。でもこの発達段階で、彼は自分が社会的で、経験に基づいた暮らしの中で、生産性があることを体験したかったのです。/これはひとつの事例ですが、この段階で知ってほしいのは、子どもは自分の関心のある社会的側面での生産性、仕事、体験を通して、文化的な成長を続けなければならないということです。
p44
モンテッソーリ教育では、これを「間違いの自己訂正」と呼び、大人に注意されなくても子ども自身で間違いに気づき、訂正できるようなしくみになっている。
p49
しかし、子どもはこの仕事を、他人へのサービスや、賞賛を得るためにやっめにやているのではありません。一生懸命に仕事をすることこそが、褒美その物なのです。
p52
人類に進歩をもたらす偉大な発見は、その科学者の教養や知識によるものではなく、どのくらい集中する能力を持っているか、魅了される作業に没頭できる知性の可能性によります。
p53
集中は、内なる力の源泉であり、他者の中からその人物を際立たせる内なる強さでもあります。
p89
「モンテッソーリアン」/montessorian/教師に限らず、誰でもモンテッソーリ教育やモンテッソーリ博士の考えに賛同している人々の総称。
p118
人間にとって自由は、元々与えられているものです。なぜならある任務、ある場所に制限され、服従するようにはなっていないからです。人類は、どんな場所でも、どんな仕事にも適応できるのです。これは過去もそうであったように、現在もそうであります。
p138
繰り返し言いますが、原則や本質は教えることはできません。