2年前に1度読んでいるが、再読した。前回の読書メモは下記のリンクだ。

[読書メモ]『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』 – 読書ナリ
https://dokusho.nary.cc/2019/10/20/reading-notes-swedennohoikuenni-taikujidowainai/

前回読んだのは保育園に入園前だったが、今読むと保育園通いの日々のやりくりがかなりリアリティーがあった。

また、スウェーデンという海外の育児について知ると、日本で当たり前だと思っていたことを疑うきっかけになっていい勉強になった。

私はもともと海外生活エッセーを読むのが昔から好きだった。海外暮らしに臨場感が湧いて楽しいじゃないですか。

でも、一昔前のネットやスマートフォンがない時代の海外生活話はもはやリアリティーがなくなった。それほど、現在はネットやスマートフォンがある海外生活が当たり前になっている。私がイギリスに留学したときはネットはあったがスマートフォンがない時代だったので、あのころスマートフォンがあればもっと行動が広がっただろうと想像する。

以下は読書メモ。

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p8
働く女性は皆そうだと思うが、これまでお金と時間をかけて必要な教育を受け、スキルを身に付け、結果を出す努力をしてきたのだ。最初に入った職場で長くがんばっている人もいれば、勇気を出して転職してキャリアアップをしてきた人もいるだろう。なのにその努力が、保育園に入れるかどうかという運任せのような要因で水の泡になる可能性があるなんてーー。

p10
やっぱり自分は専業主婦にはなれない、子供には悪いけど、家にいるより働いているほうがずっといいやと内心思ったものだ。

p11
子供に対しても、「親になっても、自分のやりたい仕事を週に四十時間やる権利がある」と断言できる。

p50
家にいると間がもたず、だめだとは思いつつも、一日に何度もテレビやDVDを観せてしまう。一日じゅう家にいては息が詰まるので、外がどんなに大雪でも、ランチタイムに合わせて街へ出るのが日課になった。

p110
最近ではクラスごとにインスタグラムの鍵つきアカウ トを用意して、毎日のようにその日の活動の様子をアップしているという。

p136
毎年視察に行くたびに、保育園の先生たちが「このプロジェクトは子供たち自身のアイディアで……」と強調するのが印象的だった。しかし、子供たちに決めさせることがそれほど大事なのだろうか。経験豊かな先生たちがそのグループにふさわしいテーマを見つけてあげるのではだめなのか? もしくは、園児は毎年入れ替わるのだから、同じテーマにしておけば先生も準備が楽なのに……。わたしはそんなふうにも思った。

p137
子供のころに「自分たちにも保育園・学校の活動に影響を及ぼすことができる」と体感すると、大人になったときに「自分が社会を変えていける」と思えるようになる。それが若者の社会参加を促し、選挙の投票率を上げ、政治家の平均年齢も下がり、国民が常に鋭い視線で政治を監視する社会の実現につながっていくのだ。

p138
「おうちではパパやママの言うことをよく聞きましょうね」ではなく、大人が間違ったことをした場合に、それに気づく能力を養う。それは、保育指針にある “自分で考え、意見を持つ能力” を養うという点にもつながっていくのだろう。

p147
適切な仕事量を与えられている場合、それでも残業をするのは単にその人の仕事が遅いという印象を与えてしまう。

p149
街中で、わがままを爆発させて泣き止まない子供を見かけることもあるが、親は声を荒らげることはなく、我慢強く子供に言い聞かせている。言い聞かせたところで小さな子供が納得するわけもないのだが、それでも根比べのように説明し続ける。

p151
本当の「働きやすさ、というのは、こういう精神的な余裕のなすところが多いと思う。社会制度として “育児休業とれます。子供が病気なら休めます” となっていても、肩身が狭ければ、本当の意味で働きやすいということにはならないのだ。

p155
学校で教えられた一日三十品目という神話にも縛られてきた。

p190
スウェーデンには基本的に転勤というものはない。例えば、夫の勤める会社はスウェーデン国内の三ヶ所にオフィスがあるが、ストックホルムのオフィスで誰かが辞めたとしても、スンツヴァルのオフィスから社員を転勤させるということはない。その場合、ストックホルムで募集をかけて新たに人を雇う。基本的に会社が一方的に社員に勤務地の異動を通達することはないし、それに従う社員もまずいない。それならその会社は辞めて、同じ街の他の会社に就職するまでだ。/社員本人の同意のうえでの転勤というのはあるが、たいていは海外駐在など大きなキャリアアップにつながる転勤の場合である。

p198
患者の担当医師が次々に替わると、医療の安全性が下がるという問題もある。

p203
日本では暗黙のうちに “育児休業は一回きり” という前提があると思う。男性に一年間育児休業を取得しろというのは、スウェーデンでだって無理がある話だ。

pp204-205
誰かが育児休業をとることは、それ以外の人にもメリットがあるように思う。学校以外の職場でもそのあいだだけの代理のスタッフを雇うのが一般的なので、同僚に仕事のしわ寄せがいくことはないし、代理の職に応募する人にとってはまたとないチャンスなのだ。育児休業中の人の代わりに雇われる人はヴィカリエ(代理)と呼ばれ、三ヶ月や六ヶ月という期間限定のヴィカリエに応募してくるのは、新卒の若者や正社員で働いたことのない人たちである。こういう人たちにとっては、このヴィカリエとしての採用は貴重な社会経験になる。働きぶりがよければ次に正社員の空きが出たときに声がかかったりもするのだ。/なお、校長のような責任の重い職種の人が育児休業を取得する場合、ヴィカリエを外部から募集するよりも、例えば副校長や主幹教員がそのあいだだけ校長代理を務める。これも、それまでに校長の経験がない人にとって貴重な経験になる。その経験を生かして、その後他の学校の校長に応募して採用された人を知っている。/このように、誰かが育児休業をとることは、業界全体の活性化につながっているのだ。

p207
育児休業というのは長ければいいというものでもない。日本のように育児休業を三年に延ばすなどという案は、どう考えても女性の長期的なキャリアを無視したシステムだ。スウェーデンがたどり着いたのは、それぞれの家庭や仕事、経済的な状況に合わせて、パパもママもフレキシブルに取得できるシステムだ。

p210
子を持つ親にとってはあまりに生活に密着した制度であるため “VABする” という意味の動詞vabbaまで誕生した。二月はインフルエンザや冬のゲロゲロ病が蔓延して、休む親が多いので、それを皮肉ってfebruariではなくvabruariと呼ばれているほどだ。

p215
上司がちがうだけで、同じ職場の同じ仕事でもこれほど居心地のよさが変わるものなのか。

p234
[サウナは]もともとはフィンランドの習慣であり、スウェーデン人はあまり自宅では入らないと思う。

p245
スウェーデンの専業主婦率は約二パーセントだと言われている。

p246
あくまで個人単位であり、世帯で評価するという考え方は皆無である。

p252
日用品も贅沢品も、物価が高い。外食も高いから、そっち系のストレス解消もできなくなった。

p254
[日本では]たった六百円で食べられるランチ。安いのには理由があるはずだ。そこには安全で倫理に反していない食材が使われているのだろうか。キッチンでこれを作っている人たちや、水を注いで回っているウエイトレスさんは、どのくらいのお給料をもらえているのだろうか。/留守だったら何度でも来てくれる宅配便の配達。配達のお兄さんはどういう労働条件で働いているのだろうか。/便利で安くて、さらに労働条件もきちんと守られている社会なんて、きっと存在しないのだ。皆がまともな労働条件で働き、夜や週末を家族と過ごせるようにするためには、消費者が不便さや物価の高さを我慢する必要がある。

pp255-256
“消費者の我慢” と “働き手のストレス” は常に反比例する関係にある。しかし消費者も仕事にいけば働き手であり、働き手はプライベートでは消費者である。働き手に対して常に完璧さを求めるのは、結局自分の首を絞めていることになるのかもしれない。

pp258-259
娯楽については、もちろん大都市には劣る。しかしそれは都会人だったわたしが知っていた娯楽という意味だ。地方都市には別の種類の娯楽があるということに、次第に気づきはじめた。

p261
その代わり、ご存じの通り税金が非常に高い。所得が多いほど税率は高くなるし、消費税(付加価値税)は二十五パーセントだ(ただし食料は十二パーセント、書籍は六パーセントなど、生活に必要なものは税率が低い)。