子どもの意思を奪うことは虐待である。

私は父親に医学部受験を強制され、2年浪人したものの結局医学部には入れなかった。父は私に将来何をしたいかなどと聞いたことはない。医学部に入れと幼少期から言い続けていた。これが意思を奪うということであり、虐待だったのだ。

父からのモラル・ハラスメントが結果的に私の「自由でありたい」という人生の根本姿勢となっている。

結婚をすると父は子どもを生めというプレッシャーを掛けてきた。自分では言わず、母を通じて言うのも卑怯だ。勝手に不妊の問題を抱えていると決めつけて、「子どもができないなら、病院へ行け」と言われた。子どもを作るのは人生を大きく変える大事な決断である。親に「作るのは当然」と強制される筋合いはない。子作りだけでなく、結婚や仕事選びなど、後戻りが非常に困難な人生の選択すべてに言えることだ。

子どもを作ったのは自分で決心したからだ。でも、一度でも人に言われると、あとあと「あの人に言われたからかも」という疑念が浮かぶことになる。

人生の価値基準を押し付けてくる人は、たとえ親であっても距離を置こう。家族だろうと、そういう人の言葉を聞いてはいけない。

父は異常者であり、これは他の家族も認めるところである。母は我が家では比較的良識のあるほうだが、何十年も父と暮らしていると感覚がおかしくなっているところがある。私の弟も結婚しているが、結婚後何年か経つが子どもがいない。そのことを母はかわいそうだと言う。べつに弟夫婦が「子どもが欲しいけど、できない」だなんて一言も言っていないのに、である。母が勝手に決めつけているだけだ。

母は「直接言うのも言いにくいし」などと言っているが、私に子どもがいないときもなんだかんだで子どもを作れと言ってきた。それがハラスメントなのだ。

たとえ私が医学部に入っていたとしても、あとあと「自分で決めたことじゃない」という疑念が必ず浮かぶ時が来ていたはずだ。結婚しろと言われて結婚したら、「自分で決めたことじゃない」と思う時が来る。子どもを作れと言われて作ったら、「自分で決めたことじゃない」と思う時が来る。

「自分で決めたことじゃない」という疑惑は最大の自己否定である。人生を奪われることだ。人に言われたことなのに、自分で選んだことにされる。これはダブル・バインドであり、典型的なモラル・ハラスメントの手法である。

「結婚せよハラスメント」「子どもはまだかハラスメント」は許されない。他者に自分の人生の基準を預けてはいけない。