私は高校生と予備校の頃、代ゼミの今井宏先生の英語の授業を受けていた。

今井先生から学んだ最大のことは「音読の重要性」だと思う。英語はともかく音読をするべし。これは多感な時期の私には大きなインパクトがあり、現在の「語学における音読至上主義」の基盤となっている。

とはいっても、音読を本格的にやるようになったのはここ数年のことである。それは「音読、恥ずかしい問題」があるからだ。

実家に住んでいた高校生・予備校生時代は親やきょうだいが家にいる。部屋で音読しているのを聞かれると恥ずかしいじゃないですか。

今井先生は「気にするな」と言っていたが、気にしないというのは難しい。結局小声でやったり、家族がいないときに音読することになる。英語だけでなく、高校時代は古文の文法も音読によって暗記がしっかりできた。

英語の学習は大学生になっても続けていたし、社会人になっても細々とではあるが継続している。でも、実家を出たあとも音読は気軽にできない。一人暮らしのマンションで音読すると、隣りの部屋に迷惑な気がするじゃないですか。やはり小声音読となる。中途半端な音読だから継続もしにくい。

音読は大きな声でするほど効果がある。小声だと意味がないんだよ。

結婚してからは戸建て(賃貸)に住むようになった。戸建てに住むようになって、やっと思いっきり音読ができるようになった。

それでも、家族がいない一人の時に練習している。

他者を意識するとエフィカシーが下がる。他者を無視できないのなら、一人の時間を作って音読練習をしよう。

そういえば、高校時代の塾(代ゼミではない)の古文の先生は、音読が家族に聞かれて恥ずかしいなら、ラジオを流しながら音読すればいいと言っていた。まあ、それも一つの対策かもしれないが、他の音声が聞こえると、今度は自分が音読に集中できなくなる問題もある。