p23
勉強の技術をいちばん必要としている人は、このような「長期的・非実利志向」によって勉強を志している人である。

p27
「ナレッジ・ディヴァイド」(knowledge divide)[…]知識を持つ人と持たない人のあいだで生じる、経済的・社会的格差

p42
自分の経験ではこうだったからと、過度に一般化しすぎるのは危険である。

pp78-79
現代の日本の住宅事情では、自分専用の書斎を持つのはむずかしいかもしれない。ならば住まいのどこかに、自分の勉強専用のコーナーを確保することである。このコーナーはどんなに狭くてもかまわない。自分がその場所に陣取ったら、それは勉強するのだという意思表示であり、家族は邪魔をしてはいけないのだという暗黙のルールを作ることが大事である。

p83
勉強とはコミュニケーションだということである。

p93
重要な内容をメモして後で利用できるようにするには、その辺のちらしやノートの片隅に記録するというやり方ではだめである。

p95
忘れてはならない大事なことは、本は見えるところに置いておかないと死んでしまうということである。[…]目に見えるところにある本だけが、生きた本である。

p96
勉強の素人は驚くほど辞書・事典を引かない。逆にプロの作家などはこまめに辞書を引くのである。

p112
すぐに読みたい本だけでなく、すこし関係のある本や、今はいらないがいつかは使う可能性のある本を大量に買うようになる。

pp115-116
私は大学の教員をしているので、学生からいろいろな質問をされる。そのなかでも多いのは、「自分は○○を勉強したいと思うのだが、それにはどんな本を読めばいいか」という質問である。/実は学生からこの質問をされると、私はちょっとがっかりする。それはこの質問をする人は、自分で文献を探す能力(広くは一般に情報を探索する能力)が高くないと告白していることになるからである。

p152
入門書は「本から作られた本」である。こういうものを二次資料という。だから入門書から引用してはいけない。また研究計画書を書くとき、このレベルの書物を参考文献にあげてはいけない。

p156
真に最先端の学問は、雑誌論文になる前の生原稿を、知り合い同士で交換して行われる。この原稿を、もう手では書かないが依然として manuscript という。参考文献に ms. と略していあるのがこれである。

p156
大学図書館は自分には利用できないと、頭から信じている人も多いかもしれない。実はそうではないのである。

p158
図書館の最も重要な機能は「書誌情報を提供する」ことであり、本が見つかるのはその必然的な結果にすぎない。

pp158-159
図書館の職員は、他の図書館の情報についても詳しいのである。彼等は本のプロである。

p170
アメリカでは大学で勉強するあいだに書く文章のことを「アカデミック・ライティング」academic writing という。

p171
[日本では]小学校・中学・高校でも、文章の書き方をひとつの技術として体系的に習ったという記憶がない。

p171
アメリカの大学でアカデミック・ライティングについて、右に述べたようなサポート体制が完備しているということは、裏を返せば誰にでもできることではないと認識されていることを意味する。それなりの訓練がないと、アカデミック・ライティングはできないのである。

p194
自分で図書館で文献を探して、内容に目を通している。こういうレポートを「汗を流したレポート」という。

p201
技術は分解して人に伝えることができるが、勉強しようという意欲そのものを人に伝えるのはむずかしいということである。