p89
あらゆる既成概念を捨て去ろう

p93
そのあたりについてまったく無神経な設計者が多いように見える。ただただ、無批判に、しかとした考えもなく「夫婦寝室」というものをつくれば事足りると思っているのは、あまりに単細胞というか、不見識というものである。

p96
男が「書斎」を欲しいと主張するのは、いわば「口実」で、要するに「自分の個室」が欲しいという意味だと見ても、あながち間違いではない。

p104
確たる理由もないのに、ただ何となく和室も一つくらいはつくっておくか、という安易で曖昧な発想を私は嫌うのである。

p108
このソファに座って何かをしようと思っても、およそ何をするにも向いていないのがこれらの応接家具というものである。

p110
確たる理由もないのに、ただ何となくつくる、そういう曖昧な、あるいは思考停止的な発想は、住宅設計には大禁物である。

p114
思うに、[トイレの]水流しなどは、[機械など付けなくても]タンクについたコックでやれば済むことで、その 19 世紀的仕掛けで必要にして十分なのではあるまいか。

p116
建築家のなかには、独りよがりな考え方でドアさえ付けない開けっぴろげのトイレだの(刑務所の独房じゃあるまいし!)、半透明ガラス戸のトイレなんて設計をする人がいるけれど、人情の自然を弁(わきま)えぬ、独りよがりにして頗(すこぶ)る愚劣な設計というべきである。

p120
主婦たちは、とかく惰性的に物事を考えて、本質的なところで再考しようとしない、非常に類型的な発想をする人が多い。

p123
何事も先人主を去って、虚心にことの理非曲直(りひきょくちょく)を判断しなくてはならぬ。/だいたい、日本という国は天気のしょっちゅう変化する風土で、アラビアの砂漠のようには洗濯物を干すのに適していない。

p125
人生は短く、少しの時間の無駄も人生の浪費と考える私は、洗濯ごときによけいな時間と手間をかけたくはない。

pp150-151
何年かに一度、「目をつぶってエイッと捨てる」という清水の舞台から飛び降りるような努力が必要となるのが、つまり「生活する」ということなので、それは自分の生きていく上で「何を捨てて行くか」という、なかなかのっぴきならない決断、生き方の決定の問題にもなってくるわけである。

p154
奥が見えない「押し入れ」なんてものは、最も不合理な収納空間であると考える。

p169
答えは「ノン」である。

p171
一人ひとりが、自分は何をしたいのか、何が人生の優先なのか、そこをよくよく考えなければならない。

p247
私の自宅には、リビングなどという曖昧な部屋は存在せず、すべて家族は食堂に集まって、飲んだり食べたりしながら会話を楽しむことになっている[…]。

p267
まずは自分があり、自分の家族があり、自分の職業があり、趣味があり、生活信条があり、そういう徹底的に「自己・個人」のところから発想して、必要だと思うものは誰がなんといっても用意すればいいし、不要だと思ったら、思い切って捨ててしまえばいい。