[読書メモ][Kindle]『リンボウ先生の書斎のある暮らし』
- 読書
- 2019/07/04 Thu 07:55
大切なことは、人まね猿まねをして、いたずらに立派そうなものを造ることではなく、あくまでも合理的に、必要にして十分なる条件を勘案しつつ、自分だけの優位快適な空間を徹底的に考え抜くことである。
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ものを考えるということは、人間の内なる営みであって、妻、そして子供がいて、テレビがガンガン鳴っているようなところでは、なかなか落ち着いて本を読んだり、ものを考えたりすることができないのが当たり前です。
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やはりそれぞれの人間が独立して、同時に信頼をしあう、という形がもっとも望ましいことだと思うので、それを家という空間の中にもやはり反映させるべきだと思います。
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日本人には、時間投資という考えかたがなさすぎます。/時間を使うということは、すなわち投資であります。
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書斎とは、一言でいって「何かをつくり出すための空間」と、こう定義したらいいんじゃないかと思います。
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テレビというのは本当にごくごく限られた情報しか得られない部分的なメディアにすぎない。一時間ニュースでやっと新聞の1ページぐらいなものじゃないでしょうかね。
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他の部屋と通じなきゃ困るから、ちゃんとインターフォンのようなものはつけておいて、何かある場合にいちいち怒鳴らなくても、インターフォンで家族とはすぐに連絡がとれるようにしておくことも大切です。たとえば、「ご飯ができたよ」とインターフォンで呼ばれるといったことです。
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何事も固定観念を覆して考えるということがすごく大切だということです。
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読書というのは、日の当たらないところで、安定した人工光線によって読むのがいちばんです。
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いつも何かにせき立てられるようなことになってしまって、おちおちものを考えていられない。
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これらの文学的な仕事というのは、ある程度、妄想の世界ですから、頭に何か雲のような妄想がわき起こってくる時間、言い換えれば、夜のほうが、交感神経、副交感神経の都合で、どうしても向いてるんじゃないでしょうか。
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川端康成が朝の4時半から起きて、ラジオ体操でもしていて書いたなら、おそらく川端文学は出来上がらなかっただろうと思うわけです。
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何をするにしても、時折思い出したようにどかんとまとめてやるよりも、少しずつ毎日継続していくほうが絶対に力になる。
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国語の教科書が縦書きになっているために、すべての本がみんな縦書きになる。そのことによって、日本人の読書習慣として、縦書きは読みやすいけれども、横書きは読みにくいという牢固(ろうこ)たる観念を生むことになってしまった。すなわち、横書きでは、読んだ気がしないという人が、今でも大多数をしめることと思います。
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ケンブリッジ大学などで、調査研究した結果の書誌カードなども、必ずすべてのものを二部コピーを取って、日本に持ち帰るに際しては、一部は船便で、一部は航空便で、原本は自分で持ってというふうに、ダブルセーフ的な方法で万全を期した輸送をしたわけです。
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誰かと食事をしている最中に思いつくかもしれないし、いい景色を見ながら運転している時に思いつくかもしれない。造次顚沛(ぞうじてんぱい)、どんな場合であっても、何を犠牲にしても、まずはメモしておくことです。
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日本の暑さは、知的生産の敵です。
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固定観念や近視眼的目先の利益にのみ囚われていてはいけません。
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現在の書斎は、そうではなくて、前述のとおり「個人の知的生産のためのプライバシー空間」である、というふうに規定していくと、知的生産の道具というものをやはり用意する必要がある。
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免許を取ってからだって、一万キロぐらいの間は練習、練習です。ところが、上手に運転できなければ、運転の面白みなんて分からない。下手くそでハンドルにかじりつくようにそろそろ運転をして、周りの車からブーブー追い立てられて、あわてて電信柱にぶつけたりするようでは、運転の楽しみなんか感得できないわけです。
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よろず機械というものは、自分の手足となって動いてくれるまで習熟するということが非常に必要な事柄です。
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日本人も、そろそろ字形神話というものは、やめたほうがいいと思います。あの人の字はきれいだから素敵だ。あの人の字は汚いからどうも困ったもんだ。そういった考えは改めたほうがいい。
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インターネットで検索したけれど、これだけしか情報がなかった。だから、このくらいのことしか知られていないのだろうなどと考えたら、大間違いです。そうではなくて、「素人向けの情報はこの程度」というふうに考えなければなりません。
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いまはキーワード検索ができるから、ある程度ごちゃごちゃに入っていても、なんとかなります。
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溺れるものは藁をもつかむようなもので、低次元の人付き合いに依拠していく。これは人生の無駄です。/オレはやらない、自分にはこういう目標があるんだからやらないと思っていればいいんです。
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自分が自分自身の文章のもっとも辛辣なる読者であるという必要がある。
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いつもメモ帳を持って歩くこと。メモ帳は持っていける書斎だと思うことです。いわば、メモ帳はミニ書斎です。だからこれは人には見せない。
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国語学者の山田忠雄氏のように、わざと遠いところに書庫を造って、そこまで本を取りに歩くのが、日頃運動不足になりがちな学者生活の中の、「見るべき運動だ」ということを言っておられるかたもありましたが。