[読書メモ]『語りたくなるフェルメール』
p11
絵全体にカーテンが掛かっているように見えるだまし絵的な描写
p11
当時のオランダ絵画には、だまし絵的にカーテンを描き込む作品が多く見られる
p13
ドールハウスは、フェルメールの時代のドイツやオランダなどプロテスタント国で作られ始めている。ドイツのドールハウスが教育玩具として制作されたのに対して、オランダのドールハウスは美術品として作られている。
p18
その謎を解き明かすことを通して、私たちのクラス日常の一瞬一瞬が、それこそ絵画にも匹敵するような美に満ちていることを実感するための試みでもある。
p18
17 世紀オランダという時代と世相の自画像と同時に、他でもない今日の私たち自身の自画像としても描かれているからである。
p22
もともと画家の描く異性には、好みのタイプというものがある。/これは、画家の異性に対する好みもさることながら、当人の手そのものが持っている癖や技術的な上手い下手が原因で生じるもので、おかげで画家には、描きたくても描けない顔もあれば、描きたくなくても描けてしまう顔もある。
p46
驚いて振り返ったような視線は、親密な関係を結んだ妻よりは、恋愛の緊張感をはらんだ恋人の瞳にこそふさわしいものである。
pp46-47
当時の感覚からすれば、絵画とはむしろ購入者の視線で切り取った世界を視覚化すべきものであり、王侯貴族に納品する作品には、王侯貴族が見ている世界、ないしは見たいと願う世界が描かれており、教会に納品する作品には、聖職者や信者が見ている世界、ないしは見たいと願う世界が描かれているのが普通だったのである。
p54
トローニーとは、不特定人物の顔を描く絵を指す言葉で、オランダ語で「顔」を意味している。
p54
個人の肖像は、当人に縁のない人にとってはほとんど無価値であるため、既製品中心の市場では商品価値が乏しくなるが、不特定人物の人物画ならば、不特定多数の人々が感情移入することができ、商品価値を発揮できたわけである。
p55
トローニー的な理想像を今に継承しているのが、ピンナップ写真や広告に登場する名も知れぬ美女たちであり、彼女たちはまさに不特定多数の大衆の感情移入を誘うことによって、消費市場に多大の貢献を果たしている。
p73
補色は 19 世紀の理論なのでこの時代には存在していない。画家の直感が、理論に先行していたということである。
p77
画家が絵に題名を付けなかった時代[…]画家が作品に名前を付けたり署名をしたりする習慣は、絵画が展覧会や美術館に展示されるようになった時代に普及したものでそれ以前の絵画の多くは、命名も署名をされていない。[…]今日の私たちの知る名画の題名のほとんどは、後生のオークションや展示会の都合で名付けられたものでしかなく、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』のモデルが謎となったのも、画家当人が絵に命名していなかったからである。
p89
高級消費財でもあった絵画は、日光による退色その他の劣化を避けるため、カーテンで保護されていたのである。
p92
当時の郵便は着払いだったため、受取人はこの封印で差出人を確認して料金を払っていた。
p99
従来は神や王にしか許されていなかった、宇宙や世界を俯瞰する「上からの目線」が市民に開放されない限り、世界を図解した地図や地球を模型化した地球儀は市販されないはずだからである。