[読書会]『失敗学のすすめ』
月例読書会の課題本は『失敗学のすすめ』。事前に2回読んだ。
関連本として『失敗学実践講義』も読んだ。
最初に書こう。私には<中身のないビジネス書>だなと思った。すごく当たり前のことしか書いてない気がしたし、頭の悪い人のやり方のように思えてしまった。そもそも成功・失敗の二元論で考えられるだろうか。現実には成功・失敗は相対的なものであり、成功だと思っても失敗だったり、その逆もある。成功と失敗は地続きであり、グラデーションのようなものなのが現実ではなかろうか。
本書で「考え足らず」「考え落とし」(p71)による失敗について触れられていた。私から言わせればこれは失敗じゃない。ただの能力不足である。その時の自分の能力でできないことは、失敗じゃない。単にスキルをアップさせてできるようになるか、他の人にその仕事を割り振ればいいだけのことだ。
「失敗から学べ」とよく言う。私は過去を振り返るのが嫌なんだよ。「ああすればよかった」と嘆くのは後出しじゃんけんであり、生産的じゃない。そんなことをするより、次に「より良い最適解」を出すことに集中すべきなのだ。
私には失敗という概念がない。これはマインドセットの問題である。すなわち、「毎回良くしよう」と思っている限り、常に今が最高であり、成功しかないのだ。
より良くしようと思うことは、常に挑戦し続けるということだ。だから、想定外のことが頻繁に起こる。だから、常に失敗しているとも言える(失敗をしていない人は挑戦していない人だ)。
ほら、成功やら失敗やらの区分なんてどうでもいい。単に、毎回良くしていこうと実践する精神がある限り、どんどん良くなっていくんだから。
私の好きな考え方に「1日2パーセントずつ良くしていけば、1年で 1377 倍良くなる」がある。1.02^365=1377 という簡単な計算だけど、積み重ねを続けると膨大な力になるわけだ。
別に「良く」しなくてもいい。毎回「新しいことをする」だけでもいい。新しいことをすることで、手持ちのカードが増える。それ以降最適なものを選びやすくなる。私の開催する読書会は、毎回良くする努力をするのはもちろんだけど、小さなことでも新しいことを毎回している。たとえば、会場をあえて毎回変えている。いい会場を見つけたとしても、再度利用しない。新しい場所を探し続けて、「こんな場所があるんだ」と発見を重ねている。
もちろん「毎回良くしていく」という方法論は前提条件がある。挑戦し続けるというバイタリティーが必要だ。私は常にベストパフォーマンスで望めるように努力している。重要なことを決定する際はリラックスするよう努めている。それと「苦手なこと」「やりたくないこと」「物理的にパフォーマンスを下げること(=飲酒、睡眠不足、不健康など)」「IQ の低い人と群れること(=飲み会など)」を避けて、パフォーマンスを下げないようにしている。
では、本書に書かれているような失敗を防ぐ技術は学ばなくていいのか。私は方法論なんてのは簡単に見つかると思っている。主体的に物事に関われば、論理的に導き出される次のアクションは見えてくる。
本書では書かれていないが、「年寄りに任せない」というのも失敗を防ぐ方法だと思う。年上を尊重する文化が日本にはあるけど、ぼんやり年だけ取っている年長者ってのは多いゾ。著者の畑村さんだって 80 歳ぐらいのじいさんじゃないか。私はその時点で内容を当てにしていない・・・。30、40 代ぐらいの経験もあり頭が一番シャープに働く年代の声を聞きたい。
さて、こんな感じで本そのものは役に立たなかったけど、本から派生して考えることがたくさんある点においては、読書会向きの本だったのかもしれない。最近読書会を楽しめていなかったけど、読書会でいろいろ刺激的な話が出て、久しぶりに面白かった。
私以外の人はみな会社勤めの人で、やはり職場での失敗学の話が中心だった。マニュアル、引き継ぎ等で、どうやって失敗からの教訓を伝えていくのか、どうやったら伝わるのか、どこも苦労しているみたい。
「脅し」にならない形で子供にいかにして危険予知を伝えるのかの話になったのも面白かった。
文章で伝わらないが、近年は動画で伝える話も出た。そういえばこの前の帰省時に、母に iPhone の使い方を説明するチュートリアルビデオを作ったなあ。。それと発展して今後は VR で伝える未来になるだろうという予測も楽しかった。読書会中で映画『インフィニティ・ウォー』について言及すれば良かった。あの中でドクター・ストレンジが、1400 万通り(ぐらいだったかな?)の未来を脳内シミュレーションして、そのうち助かる道は1つだけだ、というなシーンがあった。シミュレーションや VR 体験内で実験を繰り返して失敗を未然に防ぐなんてのが、今後は普通になるんだろう。
映画や小説のような疑似体験から学ぶ話も出てきた。私は「失敗から学ぶ」などという後ろ向きな発想よりも、単純に他者の生き方を「疑似体験する」という行為の方がはるかに重要だと思う。映像がある映画は最適だ。「他者の視点に立つ」ことが<伝える>ことにおいて非常に重要な行為だ。
仕事の失敗について、個々人のブログで書いて伝える会社があると知って面白いと思った。無味乾燥な失敗データベースは面白くないし、伝わらないし、読んでもらえない。ブログで経験談を自分の言葉で書くことができるとしたら(適度な雑談を交えたりして)、みんなに読んでもらえるだろうし伝わりやすいんじゃないかな。
でも、テーブルでは、多くがいかに自分の会社がダメかの嘆きになっていた気がした。会社員というのは身分が保障されている。変な「改善」をして危険なことをするぐらいなら、現状維持を続けた方が安全。その結果「今のままでいいや」が蔓延する・・・。私がサラリーマンの時の勤め先もいつも痛感していた。私が「変えればいいじゃん!」と言ってもみんな変えようとしない。そのわりに、仕事は増え、個々人の負担は増えていく。どんどん視野が狭くなっていく。これじゃあ、失敗が発生して当然だ。
冒頭に書いた、本書は中身がないという指摘は、会社員のような組織人向けの本だからかもしれないと読書会中に思った。だから私の「毎回良くしていこうという」ような考えは、フリーランスやベンチャー企業でしか実現できないのかもしれないと思った。
でも、やはり違う。組織人であっても「毎回良くしていこう」と考えることはできるし、ロボットや AI が浸透していくこれからの社会では、現状維持をするだけの人間は捨てられてしまう。
私が本書を「中身がない」と感じたのは、失敗学なんてのは私にとって当たり前のことだから。だから、逆に会社員だと簡単な「良くしよう」と思う気持ちがなくなっていないか、今一度考えてみるべきではなかろうか。
課題本が面白くないわりに、いろいろと考えることが多くて、珍しく参加してよかったと思えた読書会だった。