[読書メモ]『ホームズとワトスン―友情の研究』
p56
バーツの愛称で知られる聖バーソロミュウ病院は、世界最古の病院の一つである。
p81
聖典中にホームズとワトスンが地下鉄を使った記録は、サセックス・コウバーグ・スクエアへ行く途中オールダーズゲイト駅まで乗った際(『赤毛連名』)の、たった一例しかない。
p82
ベーカー街駅の外には辻馬車乗り場があったし、あるいは通りを走る辻馬車を呼びとめることもできた。呼び子を吹いてとめてもよかったが、この場合、四輪辻馬車なら1回、二輪辻馬車なら2回吹くことになっていた。ロンドン市民の多くは、この用途のために呼び子を持ち歩いていた。
p92
出会った女性のことを事細かに描写しているワトスン
p102
利口な人間はがらくたを放りすてて、役に立つ知識だけをとっておくのだと。
p112
ワトスンは彼自身がかかわった事件の記録者であり、したがってその見解は主観的なものである。さらに、起こった出来事の正確な日付を記録することよりも、諮問探偵としてのホームズの技量について気づいたことや感嘆したこと、あるいは、彼が手がけた事件の不可解な面ばかりか刺激的な側面をも読者に伝えることに、はるかに関心があったのだ。
pp141-142
マイクロフトは事実を記録して相互に関連づける類稀なその能力を用いて、政府のさまざまな大臣がどのような政策をとるべきかという問題に、ひそかに助言を与える役割についていたのである。
p157
ワトスンはこの誘いに熱をこめて応じた。それというのも、彼はモースタン嬢の話よりもモースタン嬢自身に強く心を惹かれたからだった。
p157
モースタン嬢は 27 歳で、ワトスンに言わせるなら、若さがようやく気どりをなくし、経験からいささかの落ちつきが出てくる “愛すべき年ごろ” だった。
p227
この時代、個人が専用の列車を仕立てることは可能であった。通常は “特別列車(スペシャルズ)” の名で知られていた。
p238
存在理由(レゾンデートル)
p239
この英国内だけでも、なんらかの形のストレスに悩む人びとが、毎年何百人も忽然と姿を消している。現実や、耐えきれないストレスから逃避したいという気持が、彼らをそうした行動に走らせる一因かもしれないが、自分自身から逃げ出して、まったく新しい人格をつくりだしたいという無意識の衝動もあるのかもしれない。
p240
性格的に冷淡な一面があったし、そのうえ、これと決めたら最後、ときによっては無慈悲なまでの厳しさで目的の達成に邁進(まいしん)したからである。
p241
ここで読者は、ホームズにはほかにも見たいものがあったのではないか、という穏やかならぬ感情を抱かされる。それはワトスンが悲しむ姿ではなかったろうか。もしそうだとすると、ホームズの性格の冷淡な一面ばかりか、サディスティックな性向をも明示するような行いだが、おそらくホームズ本人にしてみれば、自分の通夜に居合わせてみたいというのと変わらぬ、ごく自然な好奇心の発露にすぎなかったのだろう。
p243
モリアーティの遺骨はいまでもどこか山腹の、ひょっとするとライヘンバッハの滝の音が届くところにある、墓標のない墓のなかに横たわっているのかもしれない。
p243
地中測定装置(グラウンド・レーダー)
p244
すりむけて血だらけになりながら、“神のご加護” でようやく小道へ降りたったとホームズはつけたしているが、彼が宗教的な信念めいた言葉をこのようにあからさまに口にするのは異例なことである。
p247
『バスカヴィル家の犬』と『恐怖の谷』の出版がかなりあとまで延期されたことも[…]驚くようなことではない。長く複雑なこの2つの調査を物語に書きあげるだけの時間が、ワトスンになかっただけの話である。
p267
彼がホームズの変装にだまされた7回の機会
p275
銃が使われた犯罪の捜査で警察が弾道を証拠として採用するようになったのは、1910 年以後のことである。
p297
自分の良心よりは英国の法律をごまかすほうがましだと思うようになっている
p306
ワトスンにはつねづね英雄崇拝の傾向があったため、ホームズの評判が国際的に高まるにつれて、彼に対する敬意もそれだけつのっていったのだろう。
p311
ワトスンならもっとやさしく、もっと感じのよい性格の女性を好んだであろう。
p321
当時のイギリスで、“きみは期待にそむいたことがない” とみとめることは、最高の賛辞の一つであった。
p364
ホームズは昔からほめ言葉に乗せられやすい
p401
チェンバレーンは片眼鏡(モノクル)を身につけ、ボタンホールに蘭の花を差しているような、“秀麗な” 身なりの人物でもあった。
p425
本書は非常に「まとも」なホームズ研究書と言える。この 60 年間、特にアメリカの研究家を中心に、奇をてらった説がさまざまに出てきたが、トムスンは素直で「常識的」な判断を下している。