自分はアカデミズムの人間だとやっと気付いた

私が「映画の会」と呼んでいる映画の感想を話し合う会に以前は熱心に参加していた。私が何よりも最も好きなことは、映画館で映画を観ることだ。キテレツ大百科よりもホームズよりも読書よりも旅行よりも、結局は映画館での映画が大好きだ。だから、内向的な私の性格からすると「大それたこと」なのに、映画の会に行くことができ、実際に熱心に通っていた。

でも 25 回以上参加したあと、行くのをやめた。べつに義務で参加しているわけじゃないから、行きたくなくなったら行かなければいいんだけど、行かなくなった理由を自分でもうまく言語化できていなかった。しかし、ようやく分かってきた気がする。

それは参加しても「報われない」感があるからだと思う。私は映画の会参加前にしっかり準備していく。最低2回は映画を観るし、関連映画(同一監督作品、シリーズの過去作品など)もきちっと鑑賞しておく。感想を話し合うならそれぐらいして当然だと思う。

でも、会に参加してみると9割がた、私並みにちゃんと準備してくる人がいない。一生懸命やった自分がバカバカしく思えてくる。そういうのが繰り返されたから参加しなくなったんだと思う。何事においても、頑張った人が損をする仕組みはあってはならない。試しに去年すごく久しぶりに参加してみたけど、状況は同じだった。課題映画として取り上げられる映画には面白そうなものも時々あるので、「参加したいな」と本当は思っている。でも、ガッカリするのは嫌なので参加しない。

次に読書会の方に通うようになり現在に至っている。普通の人は本なんて読まないので、私は本を読む人はすごい人だと思っている。映画なんてぼんやり座っているだけでいいけど、本は1冊読み切る持久力が要るし、頭を使わないといけない。実際映画の会の方では「本を読むのは大変だし」「映画は座ってればいいし」などという声をよく聞いていた。

読書会は映画の会と違って、もっと意識が高い人が参加していると信じて参加するようになった。実際にちゃんと勉強している人の割合が多いと思う。

それでも、読書会の方もつまらなくなってきた。映画の会と同じ理由で、やはり報われない感じがあるから。

私は課題本は複数回読むし、関連本もできるだけ読むようにしている。そこまでやる人は、一人いるかいないかなのだ。私は誰よりも一生懸命やっている。だから、参加しても得るものがあまりないんだよ。私はすごい人に会って刺激を受けたいんだ。

そこではたと気付いた。私は「アカデミズムの人間」であると。私は大学院の授業に行くつもりで、映画の会や読書会に参加していたんだ。大学院の授業なら予習しないと付いていけないし、適当なことを言ってもすぐに勉強していないことがバレてしまう。だからしっかり準備するしかない。

映画の会や読書会はどうか。結局は<出会いの場>なのだ。「映画が好き」「本が好き」というのはエクスキューズにすぎない。本当の映画好き、読書好きには向かないのかもしれない。映画『ちはやふる -下の句-』の詩暢(しのぶ)が言うように「カルタ(映画、読書)が好きなんじゃなくて、みんなとガヤガヤするのが好き」な人が集まるのが映画の会、読書会なんだろう。

自分がアカデミズムの人間だと、実感を持って気付いたことは大きな発見だ。よく思い返せば、そういう生い立ちだった。大学院まで進んだんだから、研究職に進むことも選択肢の一つとして考えた(実際は強制される勉強が好きじゃないので研究者にはならなかったけど)。就職先として大学事務職員を選んだのも、大学というアカデミズムの現場で働きたかったからだ(実際はただのサラリーマンだったんだけど)。

映画の会、読書会がダメな場所だと言っているわけじゃない。ただ自分には合わない場所だっただけだ。私は自分の努力が報われてほしいと思うので、参加すればするほど報われない感が強化される環境からは距離を置くべきだと分かっただけだ。

最近は自分で読書会を開くようになった。ここは私の才能を活かせる場所であり、本当に好きなことをできる場であり、自己実現の場であり、まさに努力が報われる環境だ。一人で運営するのは難しいことだらけだけど、好きなことを追及しているので楽しい。何より、単に読書会に参加するだけなら自分は「駒」にすぎないけど、主催する側になると「プレイヤー」になれる。これは大きな転換である。

だけどその自分読書会は、普段行っている読書会のプラットフォームを利用させてもらっているので制約が多い。現状維持を避けて、どんどん新しいことに挑戦しているのが私の読書会だけど、ちょっと変わったことをすると何かと「いちゃもん」を付けられやすい。読書会プラットフォームの「おかげ」でもあり「制約」でもある。自分読書会はメニュー的にあと半年程度で終えるので、「おかげ」と「制約」を天秤に掛けて、今後何をするかを決めたい。現時点では「制約」の方が自分のエネルギーを奪う要因になっていると思うので、同一プラットフォームでの自分読書会のようなことはやめようかなと思っている。

映画の会や読書会を出会いの場と割り切るのを悪いことじゃない。しかし、私にとっては読書会を出会いの場とするのは「淡(あわ)い期待」だ。「読書会に参加すると友達が増えます!」と言う人が多いけど、それを聞くたびに嫌な気持ちになる。私は5年間映画の会と読書会に通って、仲のいい人はできていないし、勉強の同士も見つかっていない。運営係に参加しても変わらなかった。変な淡い期待にしがみつくのをやめよう。「仲間が見つからなくてもいいじゃない?」ということに気付けたらずいぶん気が楽になれた。

とりあえず通常読書会には、自分読書会の宣伝のためだけにあと半年参加し、自分読書会の終了と共に参加をやめよう。

思い返せば、高校生の時点で、自分は同じ場所にとどまる人間ではなく、各地を転々とするのが合うと悟っていた。旅人なのだ。私は別に土地にこだわりがない。地元の広島は躊躇なく出れたし、今住んでいる名古屋だって好きじゃない。日本にも執着がないので、海外だって行ける。どこへでも行ける。私のような自由な人間には村社会的な田舎より都会の方が合うだろう。読書会に行かなくても、自分の才能を活かせる別の場所を探せばいいし、やりたいことをやっている限りすぐ解決するはずだ。

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*末尾の数字は5段階評価を表す。

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