[読書メモ]『翻訳教室』
p172
僕も年だからね、ということもあるんだろうけど、早く寝ちゃいます。朝早く起きてひとりで仕事しているほうが楽しいから。でもそういう人は少ないかもしれない。やはりね、夜中に人と騒いでいるほうが机に向かって仕事しているよりも楽しいという人はあまり翻訳には向かないですよね
p176
村上 僕は都会って好きなんですよ。というのは、都会にいれば非常に無名の人間になれる。その感じはすごく好きです。家は神奈川県の小さい海辺の街にあるんですけど、そこにいるとね、やはり自分がここに住んでて村上春樹という人間で、小説を書いて生活していて、ご飯のおかずを買いにいくという生活がある。でも東京にいるとね、まったくそんなこと考えないで生きて行けるんですよ。
僕が生まれ育ったのは阪神間の西宮とか芦屋(あしや)のあたりで、そこから東京に出てきたときは本当にうれしかった。自分がまったく別の人間になれたような気がして。実際、別の人間になったんだけどそれは本当にほっとしました。だから僕は十代の頃は関西弁を使っていた。それが東京に来て、言葉もガラッと変わっちゃったんですよね。それは一種の人格の作り替えなんですよね。都会というのはそういうのが可能なわけ。
柴田 そうすると、小説や翻訳で別の世界に行くとおっしゃったけど、都会にいるということもそれと似たようなことなんですか?
村上 似てますね。しょっちゅう引っ越しするし。外国に行って住んだり。わりに環境をどんどん変えていくのが好きです。それで、環境を変えるたびに少しずつ違う人間になる。なれるんですよ、ちゃんと。違う人間に。
p178
昔は新聞の勧誘がくると僕は全部断ってた。「漢字が読めない」って言えばいいんです。毎日とか読売とか朝日とか来るんだけど「僕は漢字が読めないから新聞はとりません」って言うと、もうさっさと帰っちゃう
p179
僕は大学時代にひとりで生活していた。そのとき、とにかく自己完結しようと思ったの。とにかく自分にできないことはないという状態になろうと思ったんですよ。料理から掃除から簡単な裁縫から全部自分で。だから、うちの奥さんがいまいなくなったとしても僕は何でもできるので、全然不自由を感じない。
p194
現実から出発してそのまま幻想の世界になだれ込んでいくような小説[…]これを世間ではマジック・リアリズムと言うわけですね。
p232
ヘミングウェイはiceberg theory(氷山の理論)ということを自分でも言っていて、語らないで伝えるというのが彼の文章の最大の特徴だと僕は思います。
p239
I believe in you という言い方をどう訳すか。I believe you と I believe in you はどう違うか。中学レベルの基本的な話だけど、I believe you は単に「君の言っていることを信じる」「嘘じゃないと思う」という意味しかなくて、相手が言ったことに対して「うん、そうだろうね」ということ。I believe in you はもっとずっと意味が大きい。つまり「君という人を信じている」「君という人間の力を信じている」ということです。それと「存在を信じる」も believe in 。「神の存在を信じるか」は Do you believe God? ではなく Do you believe in God? なわけです。これがまず基本。ここでイエスに向かって I believe in you と言っているのは、あなたというお方の力を信じる、ということでしょうね。