[読書メモ]『シャーロック・ホームズの履歴書』

p9
世界で最も広く読まれている書物は、と聞かれれば、誰でも「聖書」と答えるに違いない。そしてその次は、と聞かれて「ホームズ物語」と答える人がいたら、その人はシャーロッキアン__ホームズ物語のファン、ないしは研究家__の資格十分である。

p22
普通教育法が制定されたのが 1870 年のことであったので、それ以前の時期ではちょっとした裕福な家庭では子供の学校(と言っても教会の付属施設的なものか、篤志家による小規模の教育施設)に出さずに、自分の家に家庭教師を招き、または住み込ませてから躾から知識の習得まで、一切合切家庭教師に任せるのがごく普通の現象であった。

p25
一目でワトソンがアフガニスタン帰りの軍医だと見抜いたが驚いたワトソンにそのわけを説明しようとせず、一人クスクスとしのび笑いをして「ネバ・マインド」(気にしないで下さい)と、実はまったく気になる返事をしている。

p42
この一頭立て二輪馬車はその発明者であるジョセフ・ハンサム(1803-1882)の名前を取ってハンサムとも呼ばれたが、特徴は御者台が客席の後方の一段高い所についていて、御者はそこから長い鞭を振って馬を走らせた。英国が左側通行になったのは、このハンサム(キャブ)全盛時代に、御者が右手で振る鞭が脇を歩いている通行人に触れないように御者仲間が自発的に道路の左側を走ったためである。

p47
「君が学生時代に我々をしばしば驚かせたあの特異な能力を、職業として活かそうとしているんだって?」という彼の問いかけに、ホームズは胸を張って「そうだよ。僕は自分の知惠で生きることに決めたんだ」と答えた。

p51
ちなみに 221 番地 B の「B」は A、B の B ではなく仏語のビス(二度)の意味で、隣家がすでに 222 番地となっている場合には、221 番地の2世帯目を表すための補助的な記号であった。

p62
ハドソン夫人の住所が 221 番地、ホームズとワトソンの使用する2階の住所が 221 番地 B ということになる。

p68
ヴィクトリア時代は特に「朝食の卵」が重きをなしていた。

p81
さすがはワトソン、女性の観察は鋭かった。

p132
「私はキリスト教徒です」ということは「私は紳士(淑女)です」ということと同意義であり、それなりの思想的背景と生活信条を持っていますというのを意味した。

p135
彼の求めていたのは探偵職人としての自分の腕を試す機会であった。

p146
バリツという武術は、どうやら柳生流ナントカというのと同じ意味で、英国人のバートンなる人物が日本から英国に持ち込んできた護身術で、彼はバートン流柔術という意味でこの技をバリツと名づけていたようだ。

p151
ホームズの熱烈崇拝者(シャーロッキアン)

関連するかもしれない記事:

取材対象の著書はすべて読む

大学の学部生の頃、特に影響を受けたのが評論家の立花隆さんの本だ。ちょうど多感な時期に熱心に読んでいたので、私の文章の文体や思想に現在でも大きな影響を受けている。

続きを読む

中学生時代の思い出「応援団」

僕が通っていた中学校は2年に1度運動会があった。

続きを読む

[映画] “Brave”

名古屋松坂屋美術館のピクサーの展覧会に行く前にピクサー作品の鑑賞。

続きを読む