[読書メモ]『ありのままの私』
p17
自分が「自分自身でないもののフリ」をして我慢していると、他の人が「自分自身でないもののフリ」をしていないと、腹が立ちます。なので、他人にも同じことをするように強要します。
p24
朝ごはんを食べない、という変わった健康法なのです。
p28
女物を着始めてわかったことは、それは柔らかくて薄い、ということでした。男物は硬くて分厚いのです。
p40
「人間は、その人自身のありのままの姿であるときが、最も美しい」
p48
私のように痛いことや人の言うことを聞くことが大嫌いな人間に務まるとは、とうてい思えませんでした。
p50
私はもともと、女性と一緒にいるのが好きでした。
p53
男性の格好をして、女性と手をつなぐと、それは恋愛感情の表現となって、「ということは、セックスしないといけないかな!?」みたいな感覚が生じてしまうわけで、話がややこしくなるのです。
p59
私は、「自分自身であること」を追求していて、その過程でこのような格好をすることになったのです。ここで女性ホルモンを使って別の人になってしまったら、その趣旨に反します。
pp81-82
東アジア全体が非常に裕福になっている一方で、環境悪化がひどく、美しい自然こそが、もっと高価なものになりつつあるからです。
p84
意味が無いと思いますが、伝統というのはなかなか変わらないのです。
p90
日本のテレビは差し障りがあるものを嫌うようになってしまい、微温的で、無意味なものしか映らなくなっています。
p97
一方、facebook の方は、なぜか匿名ではやらないことになっていて、こちらは当たり障りのないことしか書きません。一番安全なのが、食べ物の写真をアップして、「おいし〜」と書いたり、観光地の写真を撮って「きれい〜」と書いたりすることです。
p105
日本のテレビが下らないのは、「わかりやすさ」と称して、視聴者が事前に抱いているステレオタイプに寄りかかって番組を作るからです。そして対象となる人や出来事に対して、ステレオタイプを押し付けるのです。これが大変な暴力を生み出します。
p107
そらよりさらに過酷なのがメイクさんです。なんと、使用するメイク道具はほとんど自腹。なぜかというと、テレビ局で提携しているメイク会社が一般的な化粧品しか提供しないからです。それでは納得のいく化粧ができないと、仕事に誇りを持つメイクさんたちは、わずかな収入の中から自腹で高価な化粧品を購入するしかありません。
p117
あまりにもひどいことをされたなら、縁を切るのは当然だ、という認識が人類にとって普遍的であり、それが如何なる社会でも作動している、という主張です。このことが保証されて初めて、人間は自由たりうる、と網野は指摘しました。/考えてみてください。ひとたび縁を結んでしまえば、如何なる腐れ縁も切ることが許されないとすれば、社会はどうなってしまうことでしょう。そうなると、縁を呪縛と化して他人を抑圧することが、やりたい放題となってしまいます。それでは、縁という縁は腐れ縁になってしまい、それは人々を不自由にするばかりか、やがて社会を崩壊させてしまうことでしょう。
p163
私が女性の姿を探求するようになって、とっても驚いたことがひとつあります。それは、私が結構「イケてる」ことです。
p172
私は、自分自身がある、そのあり方のままに生きることが、人間に与えられた唯一の使命だと信じています。