[読書メモ]『溜池通信 いかにもこれが経済』
p19
クールビズ[…]組織の雰囲気を変えたいときはまずファッションから、というのは一理も二理もある考え方だと思います。
p28
日本の新聞社は、若者をこき使うシステムになっている。
p44
「ケンブリッジ大学ではお茶の時間が長い。教授からタイピストまでが集まってきて、延々と話に花が咲く。ときにはパブが開く時間までやっていることがある。無駄な時間に思えるけれども、こういう『プロダクティブ・ルーズネス』(生産的な怠慢さ)は学問の場に必要なことだ」
p59
ハリウッドがいろんな仕掛けで世界中の才能を磁力のように引きつけるシステムを持っているのに対し、日本の体制はあまりにも貧弱だと思う。
p64
これらに共通しているのは、「お馴染みさんを大事にしていたら、新しいお客が来なくなった」という現象である。ワシなどは縁なき衆生であるが、銀座の高級クラブなども似たようなことになっているらしい。古いお客が新しいお客をを連れてくるという美風がすたれれば、店としては客単価を上げるほかはなく、そうするとお客が使える金額には上限があるので、いつかは店が衰退していく道理である。どんな業界でも、新しい客を開拓することを忘れてはならない。言い換えると、初心者が入ってきやすいような仕組みを作っておく必要がある。
p67
過去の自分を否定しないと先へは進めないのです。
p75
独身者の余暇は何をしているかといえば、「マンガ」「スポーツ観戦」「ギャンブル」といったオタク消費が中心。あるいはエステ・マッサージなどの美容・健康関連である。
p77
親たちは盛んに海外旅行をしているが、自分は予定がない(親の海外旅行中の通訳を買って出て、ちゃっかり自分はタダで旅行しているという例もあるらしい。こういうのをパラサイト・ツーリズムというのでしょうか)
p80
“Retail is detail.” という言葉がある通り、流通業は細かなノウハウの集積です。
p86
あれもこれも、と彩りを添えたりすると、結局は個性のないものとなってしまい、印象が薄れてしまう。
p96
なぜそうなるまで問題が放置されていたのか。ひとことでいえば、「目に見える危機がなかったから」である。
p109
自分を安売りする人間を信用するものではありません。
p119
そういうときに、「攻め」の発想に立つことは重要であると思います。
p171
食べることを経済行為だと考えたら、値段は安いほうがいい。全国チェーンの店で1杯 500 円のラーメンを食えばいい。食は文化なりと考えたら、たとえ 1000 円近くかかっても、あるいは1時間行列に並んででも、雑誌に載っているあの店で食べたいということになる。
p175
なぜか自分の学部(社会学部)よりも、よその学部(商・経済・法)の授業のほうが面白く、とくに商学部の授業に印象深いものが多かった。
p176
消費者には味は分からない
p178
食の問題には、「情報の非対称性」があるということです。
p181
別れの理由は、たいてい、付き合い始めた最初に気づいていたことなのだ。
p185
モスバーガーというのは、もともとが商品開発にはカネをかけるが、店舗は不便な場所にあることが多い。創業者が「美味いものさえ出せば、客はかならず来てくれる」という信念の持ち主だったのだそうだ。ちなみにこれは、HP やブログを作るときにも使える発想だと思います。面白い記事を書けば、かならずアクセスは増える。どこそこに登録する、みたいな工夫はあまり重要ではありません。
p201
政治家や財界人が英語ができないというのはシャレになりませんな。アセアンではエリート層は英語ができて当たり前。
p202
多くのサクセスストーリーがそうであるように、ポケモンの誕生には多くの才能の出会いがあり、周到な計算があり、ハードワークがあり、時代の要請があり、そして予期せぬ幸運な偶然がある。どれひとつ欠けても大きな成功には至らない。
pp214-215
1970 年代生まれが「生まれたときから日本が豊かだった」としたら、1980 年代生まれは「物心ついたときには日本は下り坂だった」世代である。組織や過去の栄光が当てにならないことは身に染みている。信じるものは自分だけだ。
p224
日本発の新製品には、「誰が作ったか分からない」ものが数多くある。[…]つまりチームによる仕事であって、こういう匿名性の発明、発見は日本以外ではあまり聞いたことがありません。