p4
インターネットの普及は「信頼できる情報をマスメディアから見つける」という作業をより難しくしました。

p11
こういう「公開情報」を情報源にして相手を分析していく活動を「オシント= OSINT(Open Source Intelligence)」という。

p17
私がオススメするのは有料オンラインデータベース「G サーチ」である。

p21
ここで大胆な法則をお話ししよう。根拠となる事実の提示がない「オピニオン」(意見)は全部捨ててかまわない。

pp37-38
ウォルター・クロンカント時代のようなアメリカの報道番組だと、看板キャスターが王様のように番組内容すべての決定権を持っていた。が、何事もチームワークで動き、合議で決定する日本の報道企業では、そんなことはまずない。

p49
報道の責務は「権力の監視」なのだから、権力は監視対象なのである。監視される方はスキあらば逆襲して報道をねじ伏せようとするに決まっている。この程度のことは、報道の業務上必ず発生する摩擦として「当然のこと」なのだ。

p66
「主語が不明」ということは「根拠が不明」ということである。

pp68-69
そうした「組織」を主語とする記事は、終身雇用制を前提にした社員記者だけが書けることになっている。多くは大学を新卒後に入社試験に合格した社員記者である。フリーの記者など「非社員筆者」は書けない。そうした「社外」の書き手が書く場合は、欄やページを違え、署名を入れて区別する。書き手の資格が雇用形態とリンクしている。

p95
「関係者」はオールマイティの肩書である

pp113-114
ここで私が勧めたいのは、「『記者が何を書いたか』ではなく、むしろ『何を書かなかったか』に注意を向ける習慣を身につける」ということだ。

p123
「わからない」とは言わないマスコミの悪癖

p127
前述の記事は「科学的に証明されていない」と誤解を招きやすい表現をわざわざ使っている。これはミスリーディングである。「科学的に証明されていない」と聞けば、一般読者は「ないと証明されている」と受け止めやすい。

p166
「外国に認められた日本」の評価主体は相も変わらず欧米である。

p189
なぜ引用が手近な測定方法なのかというと、オリジナルを見つけるのが簡単だからである。

p196
聞いたことがない発信者の名前が目に入ったとき、ウィキペディアで検索してみる方は多いだろう。しかし、私はまず名前をアマゾンで検索してみることにしている。[…]アマゾンは、著者のデータベースとしても有用である。過去の著作、その出版社、内容のほか、著者の略歴などが提示されている。

p201
私が新聞社を辞めてフリーランスの記者になった時に学んだのは、本を出していないと、個人の書き手としての実績が認められないということだった。

p206
出版社が「保守系」とか「リベラル系」とか、まったく考えなくてよい。そうした外から見える「〜系」というレッテルは、内側から見るとだいたい的外れである。

p216
専門家たちは、科学や合理に基づいた真実を発言するとは限らない。「利害」や「立場」にそって発言をする。

p218
欧米ではステマは違法行為なのである。

p228
陰謀論は「P は陰謀だ。しかし根拠は存在しない。なぜなら陰謀だからだ」という論理で出来上がっている。これは蛇が自分の尻尾を噛んでぐるぐる回っているようなトートロジー(同語反復)である。

p229
法学や論理学では定理だが、何かが「存在しない」ことを証明することはできない。これを「消極的事実の証明」(Evidence of absence)という。いわゆる「悪魔の証明」である。

pp250-251
こういう「何かわからないが、重要な要素がまだ発見されていないと仮定するとすべてに合理的な証明がつく」という要素を英語で “the X factor”(エックスファクター。要素 X)という。