[読書メモ]『<個>からはじめる生命論』

pp150-151
いうまでもなく殺人は悪である。しかし私たちが、意味の不在の渦中、すなわち殺されるのは誰でもよかったといわれる状況で人が殺されることに、殺人そのものの悪とは別の次元のおぞましさを感じるとすれば、それはカント的倫理において殺人よりもなお悪いことがあるという可能性を示唆しているように思われる。人は他人を単なる手段ではない目的として扱うがゆえに殺すということがありうるとしよう。それよりも悪いのは、単なる手段として殺すことである。それでは、単なる手段として生かす場合はどうだろうか? それを、単なる手段ではない目的として殺す場合と比べるなら、どちらがより悪いのだろうか? 重要なのは、この問いにイエスあるいはノーで答えることではなく、誰かを単なる手段として生かすということのおぞましさについて考察を深めるために、それを常に携えていくことである。

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