毎月恒例の読書会に参加してきた。今回の課題本は『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也、文藝春秋、2017)。そして、今回は著者の千葉雅也さんをゲストとして招いての読書会だ。

私は昔から勉強が好きだ。小5から塾に行き、学校の成績は良かったし、進学校に通っていた。学校は大学院まで行った(大学院は勉強が好きじゃないと行けません)。そして今もある意味勉強ばかりしている。最近は読書に注力しているし、プログラミングも学んでいる。

今思えば、勉強で自分の殻を破り、自由になることに快感を覚えていたんだと思う。勉強をしないことは、自分を変えず、現状維持を続けることだ。自分の狭い殻に閉じこもっているなんて死んでいるも同然だ。

そんなわけで、今回の読書会の課題本が勉強論の本なので楽しみにしていた。

例によって著者の本はすべて読んだ。『動きすぎてはいけない』と『有限性の後で』(訳書)は難しすぎたが、『別のしかたで』は Twitter をまとめているので分かりやすかった。

『勉強の哲学』は3回読んだ。実践編は分かりやすい。しかし、原理編はかみ砕いた説明がしてあるけれど、背景知識がないと結構難しいと思う。そして実践編は原理編を前提にしているので、実践編だけを読んでも分からないはず。実践編で急にテクニカルな話になるので、それまでの難しい話とのギャップに肩すかし感を感じている人が読書会のテーブルにはいた。本書の8割を占める原理編は、長い前置き(背景説明)なのだ。

本書を理解しやすくするには、前述の『別のしかたで』を読むといい。本書と被る話も多いし、何より著者の普段の考えを知ることができる。本を十分に理解するには著者の視点で読むことが大事だからね。その意味で、やはり課題本だけでなく、その他の著作も読んでおくことは必須だ。

私は最初本書を読んだとき、確かに難しくてあまり理解できなかった。でもすごく知的刺激を受けた感じがした。もっと知りたい、もっと勉強したいと思えたのである。本書の言葉を借りると、書物は有限化されたツールだ。どんな本もすべての知識や情報を網羅できない。だからこそ、「もっと知りたい」と次のステップへと促してくれる本は、学習においては良書なのだ。

さて、私は勉強は好きではあるものの、枠組みの中で強制される勉強は好きではなかったりする。大学では授業に興味が持てず、よく講義中に読書をしていた。大学院もさらに博士課程へ進むことはできたし、そのまま大学の先生になることもできた。でも修士課程の段階で、大学の枠組みで勉強をさせられるのが嫌になってしまった。それなら自分で自由に勉強したい。本を読んだり、勉強会やセミナーに行って、好きなだけ学びたいのだ。

だから、本書の有限化という言葉には引っ掛かった。確かに、勉強を有限化すると効率的に学べるのは分かる。しかし、枠を意識すると窮屈に感じたり、思考や能力の可能性を狭めるのではなかろうか。

このことに関して千葉さんに直接質問できた。千葉さんは有限化せずに無限の可能性があると言う方がよほど残酷なのでは、だそうだ。確かに分かる。分かるけど・・・!

おそらく私は自己啓発的スタンスなのだと思う。「自分の能力は周りの環境によって制限されている。だから、自分の可能性を思う存分広げていきたい」と。そして、子どもの頃も、社会人になっても、結局今の社会は、制限されることに苦しむことのほうが多いはず。社会は個人を有限化しすぎている! 本書ではその制限された環境をマゾヒスティックに楽しむことを勧めているが、私はその制限と闘っていきたいのだ。おそらく、子ども時代からの父親からの理不尽な抑圧を受けてきた私にとって、<自由の獲得>が人生のテーマになっているんだろう(それをテーマにする時点でまだ抑圧から抜け切れていないとも言える)。

話を戻そう。

本書はすごく当たり前のことしか書いていないのかもと疑ったりもした。でも、読書会のテーブルでは本書を「うなぎをつかむような感じがする」と表現する人がいた。分かる。本書は一見身近なテーマを扱っているけど、読んでいて難しかったり、モヤモヤする理由は何か。

それは、自分は十分本書の意図を理解できていないと思ってしまうからじゃないかな。たとえば、「言語」「アイロニー」「ユーモア」「有限」といったキーワードも、普段何気なく使っている。でも、本書はもっと深い意味で(おそらく哲学的な意味で)キーワードが使われている気がしてしまう。だから、自分は十分理解できていない感じがして、読書会で生半可に「言語が〜」などと言いにくかった。実際に読書会のテーブルがいまいち盛り上がりに欠けていた。あるいは、これが「テクスト内在的」に読むということなのかな(p192)。自分の実感に引き寄せられなくても、それについて語れるようになれればいいんだろうか。「テクスト内在的」に読むのって結構難しいことだと思うんだけど・・・。たとえ十分分かっていない人にも語りを促すような本ではないので、読書会向きではない課題本なのかも・・・。

本を十分に理解するには著者の視点に立つことが大事だ。そのひとつの方法が著者に会うことだ。今回は生の著者に会えてより本を理解できたと思う。