そもそも、自分探しをしたいのなら本を読む必要はないのです。旅に出る必要もない。単純にあなたの親を観察すればいい。あるいは生まれた町や母校や友人。「あなた」はすべてそこにある。人間は環境の産物だからです。(Loc 36)

だからこそ、自分を変えるためには、環境を変えるしかない。人間は環境に抵抗することはできない。環境を改変することもできない。だとすれば環境を変える=移動するしかない。(Loc 38)

「インドに行った」と言うと、いまだに日本では特別な響きをもっているみたいで、前のめりになるひとがいます。(Loc 128)

ぼくが休暇で海外に行くことが多いのは、日本語に囲まれている生活から脱出しないと精神的に休まらないからです。(Loc 195)

ネットでは見たいものしか見ることができない(Loc 205)

個人の趣味に口を出すつもりはありませんが、さすがにまずいと思うのは、日本が最高だと思ってるひとが多いこと。若い世代の論客も、いまの自分たちの生活を肯定するために言葉を連ねていて、そういうひとが人気がある。(Loc 210)

重要なのは、日本語だけで検索するのを止めることだということに気づきます。(Loc 279)

検索はそもそも、情報を探す側が適切な検索ワードを入力しなくては機能しません。(Loc 314)

たとえばパリに行く。「せっかくだから」とルーブル美術館に行く。近場の美術館にすら行かないひとでもそういうことをする。それでいい。美術愛好家でないと美術館に行ってはいけない、というほうがよほど窮屈です。(Loc 342)

日本人は「村人」が好きです。一ヶ所にとどまって、ずっとがんばっているひとが大好きです。けれどもぼくは「旅人」でいたい。いや、むしろ「観光客」でいたいと思います。(Loc 351)

「殺せ」などという言葉がかくも軽く使われる状況は、ネットが記号の世界であることが関係しています。彼らは本当に、実在の、記号ではない人間に向かって「おまえは死ぬべきだ」と言えるのでしょうか。(Loc 473)

これからの社会では、記憶容量の制限が事実上なくなり、とにかくあらゆるものがデジタル化され、無限に近くストックできるようになるはずです。(Loc 538)

あらゆる情報がネット上でストックされるこれからの時代においては、情報の公開の有無ではなく、「検索の欲望」をどう喚起するかこそが重要な問題として浮上してきます。(Loc 545)

これからの情報公開は、単に情報にアクセスできるようにするだけではなく、「アクセスしたいと思わせる」ことも必要だということです。(Loc 551)

だれも批判しないでしょうけど、逆に関心も呼ばない。(Loc 554)

デリダの哲学のキーワードは「脱構築」です。脱構築とは、あらゆるテキストはその解釈の仕方によって、どんな意味でも引き出せるという考え方です。デリダによれば、言葉というのはじつに頼りになりません。(Loc 622)

文書や写真や証言が残っていても、それはいくらでも、現在の世界観に都合のいいように再解釈できてしまう。人間にはそういう力がある。けれども解釈の力はモノには及ばない。歴史を残すには、そういうモノを残すのがいちばんなのです。(Loc 672)

弁証法は、相反する要素(正と反)が衝突し、どんどんより高い次元(合)に到達していくという思想です。つまり、時間的にあとに来るものほどすぐれているという思想です。(Loc 697)

歴史の保存は、そのような「後世における記憶の書き換え」を意識して行わなければならないのです。(Loc 702)

大事なのは、記憶の書き換えに抵抗する「モノ」を残すことです。(Loc 706)

ひとは性欲があるからこそ、本来ならば話もしなかったようなひとに話しかけたり、交流をもったりしてしまうのです。(Loc 784)

東京をはじめ、東アジアの都市はどれも、ヨーロッパが生み出した近代都市の形態を模倣してできています。つまりコピーです。(Loc 852)

重要なのは、模倣できないオリジナルの部分ではなく、むしろ世界のどこででも通用するコピー可能な部分のはずです。(Loc 858)

だれでも似た経験をしたことがあると思いますが、長い仕事をしているとき、最終的に終わりを決めるのは体力です。(Loc 897)

批評家の感性はじつはそういう「量的な訓練」でこそ培われます。(Loc 908)

リアル書店でなんとなく目についたから買う、そういう偶然性に身を曝したほうがよほど読書経験は豊かになります。(Loc 963)

言い換えれば、あるていど無責任になろうということ。どこかのコミュニティに所属するたびに、そこで村人としてきっちり責任を果たしていこうと考えたら、できることは限られてしまいます。(Loc 984)

日本人はとにかく村人が好きです。正社員が好き。ウチとソトを分けて、ウチで連帯するのが好き。/そんな息苦しい環境は無視し、観光客であることを誇りに思いましょう。(Loc 987)

偶然に身をゆだねる。そのことで情報の固定化を乗り越える。(Loc 999)

旅に出たときは、ふだんだったら絶対に買わない、わけのわからないお土産をどしどし買いましょう。(Loc 999)

数年単位の計画は必要です。けれど、一〇年後、二〇年後を想定した人生計画は、基本的に意味がありません。(Loc 1008)

むしろ重要なのは、新たな局面が訪れたときに、それまでやってきたことにこだわらず、未来に向かって頭を切り換えることができる柔軟性だと思います。(Loc 1011)

日本人はとにかく人間関係を重視しすぎです。それがネット時代になってますます加速している。(Loc 1044)

ぼくたちはいま、ネットのおかげで、断ち切ったはずのものにいつまでも付きまとわれるようになっている。強い絆をどんどん強くするネットは、ぼくたちをそのなかに閉じ込める機能も果たす。(Loc 1051)

哲学に専門知はありません。哲学はどのジャンルにも属しません。(Loc 1118)

哲学は役に立つものではありません。哲学はなにも答えを与えてくれません。哲学は、みなさんの人生を少しも豊かにしてくれないし、この社会も少しもよくはしてくれない。そうではなく、哲学は、答えを追い求める日常から、ぼくたちを少しだけ自由にしてくれるものなのです。観光の旅がそうであるように。(Loc 1129)