[読書メモ][Kindle]『マインド・コントロール』

また、勧める側の言葉には、半信半疑でも、中立的な立場の人の意見には、耳を傾けてしまうという死角をついた技法でもある。/カウンセリングなどでも、それが効力を発揮するためには、中立性が重視される。熱が入り過ぎて一つの立場に偏り、本人を説得しようとすると、かえって本人は抵抗したり、引いてしまう。善意の存在ではあるが、意思決定や利害に関しては、あくまで中立的な立場をとった方が、その言葉は説得力を持つのである。(Loc 458)

人類の知能は、さらに高度な「騙す」方法を進化させた。騙したと気づかれずに相手を騙す方法である。マインド・コントロールとは、まさにそうした方法のことである。/(Loc 507)

万能感の肥大した誇大自己を抱えた人は、自分が死ぬときには、世界を道連れにしたいという思いを抱きやすい。その人にとっては、自分が世界より重要なので、自分が滅んだのちも世界が存在するということが許せないのだ。(Loc 622)

儒教的社会や伝統的なイスラム社会もそうであったが、忍耐と従属を重視する旧来の社会においては、自己というものは、それほど大きな存在感をもたなかった。日本を含めた東洋の封建的社会や伝統的なカトリック社会と同様、イスラム社会でも、定められた運命という考え方が大きな支配力をもつ。個人は、神や天が定めた運命に従うべきものであった。/ところが、プロテスタンティズムと結びついた個人主義では、個人の意思や主体性に重きを置く。運命さえも、その人の意思と努力によって左右できるものという考え方が生まれたのだ。(Loc 954)

中東は、日本以上に、家族の結びつきが強い地域である。「血も涙もないテロリスト」として一般化されがちだが、家族の絆を捨て切れない人も少なくないようだ。(Loc 1054)

自分の意志を強く持っている人ほど、他人の意図に左右されることに本能的に抵抗する。それゆえ、正攻法での説得には落ちにくい。(Loc 1116)

「なおる、なおる、なおる……なおった」と、患部を撫でながら、一緒に唱えさせることは、決して非科学的ではなく、むしろ、消毒薬を塗ったり、必要もない薬を飲ませるよりも、ずっと医学的にも妥当性をもつ行為なのである。(Loc 1216)

他人が勝手に潜在意識を操作することで症状の改善を得るのではなく、その人自身が問題に向き合い、それを意識化し言語化することこそ、本当の変化をもたらすという信念が、精神分析という新しい治療法の原動力でもあった。(Loc 1242)

フロイトが目指した自己克服的な道は、ある意味、自力本願によって救われようとする小乗仏教的な路線だと言えるだろう。しかし、もっと弱い多くの人々は、小乗仏教では敷居が高すぎ、他力本願で救われる大乗仏教にすがった。(Loc 1315)

ハードラップは、元々育ちのいい、純粋で理想主義的なところのある若者だった。(Loc 1408)

ダブルバインドは、インプリケーション(言外の意味)と呼ばれる技法の一つである。人間の心は不思議なもので、何かをするように直接言われると、命令されたと受けとり、心に抵抗を生じてしまう。しかし、間接的に仄めかされたり、それを前提に話されたりすると、抵抗が生じにくい。(Loc 1671)

理詰めの説得よりも、些細な暗示を与える言葉が、その人の人生を変えるということは、しばしば経験することである。(Loc 1693)

特に今日のように、他者に対して警戒心が強く、他者からの押し付けに対しては拒否反応を起こす個人主義の時代にあっては、強引に説得しようとするスタイルは適さないのだ。(Loc 1797)

CIAはしばしば隠れ蓑の団体を介して資金提供を行ったので、研究者の中には、自分がCIAの資金で、洗脳技術に使われる研究をしていることを知らない場合もあった。知らない方が身のためということもあるだろう。(Loc 2145)

孤独に暮すことが当たり前となり、同時に、メディアからの大量の情報に日夜さらされて暮らす現代人は、感覚遮断と情報過負荷という両方の危険に直面していると言える。(Loc 2213)

しかし、キャメロンもサーガントも、患者にその方法や目的を説明し、了解を得るという手続を十分に行わなかったという点では、秘密警察やカルト団体と変わらなかった。自分は「治療者」だという驕りが、そこにはあったが、その驕りは、自分は「神」の代行者だという驕りと、何ら変わりはなかった。(Loc 2341)

ネットのサイバー空間は、言ってみれば、地図も警察もない、あらゆる危険がひそむ密林に迷い込んだようなものである。(Loc 2416)

情報があまり入ってこないと、人は少ない情報から考えるようになる。(Loc 2526)

本人の主体性を奪い、操り人形やロボットに仕立て上げようと思えば、常に情報過剰な状態に置き、脳がそれらの情報処理で手いっぱいになり、何も自分では考えられない状態にしてしまえばいいということになる。(Loc 2532)

この状況は、膨大な情報に日々さらされながら、疲れきって過ごしている現代人と、少なからず重なる。(Loc 2539)

許容される方法の一つとしてしばしば使われるのが、矢継ぎ早に質問を発し、訊問される者の処理能力の限界にオーバーフローを引き起こすものである。スタッカート・クエスチョンとも呼ばれるこの技法は、非常に効果的だとされる。(Loc 2610)

会社のような通常の組織も、一つ間違うと、独裁国家やカルトに通じる異様な状況が起こりうる。遅く退社するのが当たり前、長時間のサービス残業が常態化したような会社では、その社員は、慢性的な疲労を抱えるだけでなく、主体的な判断力や独創的な発想をもてなくなっていく。疲労困憊しているのに、その状態にノーと言うことさえできず、結局、使い潰されていく。/そうした会社が、仮に社員を犠牲にして業績を上げたにしても、それはカルトが信者から搾取して栄えるようなものであり、独創的な技術革新や本来の発展が生まれるはずもない。(Loc 2629)

カルト教団や思想改造所で、しばしば行われる自己批判や批判合戦は、愛着不安を搔き立て、自己愛を徹底的に傷つけ、自己否定を強めさせる。そして、このプロセスが植え付けようとする根本的なスキーマ(認識の枠組み)とは、この自分には何の価値もないが、偉大な指導者やその理念に従うことによって、素晴らしい意味を与えられるということにほかならない。(Loc 2658)

救世主というものは、人々を現実的に救うというよりも、救いを約束するという構造をもっている。いついつになればとか、何かをすればとか、条件がつくのだ。本当に救う気があるのなら、先のことを約束などせずとも、黙って救ってくれればいいのだが、それでは救世主は成り立たないのだ。最大の前提として、私を信じれば、救われるだろうと、人々が信じることを要求する。(Loc 2668)

客観的な所見がどうかということよりも、「きみは勉強が得意になるよ」「きみは良くなる気がするな」「もう病気が治りかけているかもしれない」といった言葉が、強力な効果を発揮することは、医者や教師なら、しばしば経験することである。(Loc 2705)

優しくされると裏切れないという原理は、裏を返すと、人は裏切られることを恐れる生き物だと言い換えることもできる。つまり、組織や仲間から認められていると信じ、自ら進んで犠牲になろうとしてきたとしても、万一その思いに疑念が生じると、マインド・コントロールが解けるということだ。場合によっては、そうした疑念を刺激し、膨らませることによって、脱洗脳だけでなく、逆マインド・コントロールを行うことも可能だということになる。(Loc 2781)

このようにマインド・コントロールの原理を改めて見ていくと、そこには、マインド・コントロールの技法云々という問題を超えて、われわれ人間が抱える本性的な弱点や課題がかかわっていることに気づかされる。(Loc 2813)

「脱洗脳」(デプログラミング)(Loc 2838)

「病識」(病気であるという認識)がない疾患(Loc 2891)

余りにも多くの情報と物質にさらされ、常に欲望や不安を搔き立てられ、さまざまな形でマインド・コントロールを受けながら暮らしているわれわれ現代人には、もはや自由意思などと呼べるようなものは、ほんのわずかしか残っていないのかもしれない。(Loc 2896)

マインド・コントロールは、強い依存状態がそのベースにある。(Loc 2898)

しかし、こうしたプロセスが成功しようが失敗しようが、デプログラミングもまた洗脳であり、信条や価値観の強制であるという危うさを抱えていることは否めない。(Loc 3034)

洗脳と脱洗脳が紙一重の危うさをもち、何が幸福で何が正義であるかということに、絶対的な基準などない価値観と価値観の鬩ぎあいでもあることを思い知らされる。(Loc 3083)

イグジット・カウンセリング(「脱会カウンセリング」「救出カウンセリング」)(Loc 3159)

カルト宗教は、大きく二つに分かれる。一つは、家族や愛といった絆を重視したもの。もう一つは、修行や祈禱により常人を超えたパワーを手に入れるといった自己鍛錬に重きを置いたものである。同じ仏教でも、大乗仏教は前者の傾向がみられ、小乗仏教は後者の要素が強い。前者は大衆的、庶民的な宗教であり、後者はエリート的な志向がみられる。(Loc 3218)

マインド・コントロールの問題は、結局は自立と依存の問題に行きつく。そこで問われるのは、われわれがどれだけ主体的に生きることができるか、なのである。(Loc 3264)

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