[読書メモ]『アドラー心理学入門』
アドラーが心の中ではなくて対人関係を問題にしていること、また、原因論ではなく目的論を採用していることがアドラー心理学を学んだ最初に強い印象を与えたことでした。(Loc 55)
オープンカウンセリング(公開カウンセリング)(Loc 250)
「私の心理学は[専門家だけのものではなくて]すべての人のものだ」とアドラーはいいました。(Loc 295)
アメリカに移ったアドラーが拠点としたのはニューヨークでしたが、空いた時間には映画館に足繁く通いました。スクリーンで演じられる人間模様に関心があったのです。これはリラックスするためでもあり、どの都市にいても一日の仕事が終わればカフェに行ったり、映画館に通っていました。(Loc 296)
かつてのように教師に権威があって、子どもたちはそういう教師にただ従うということが今日でも期待されるべきなのでしょうか。(Loc 354)
アドラー心理学では、行動は信念から出てくる、と考えますから、自立し、社会と調和して暮らせるという適切な行動ができるためには、それを支える適切な信念が育っていなければならないのです。(Loc 363)
人は不断に変わらないでおこうという決心をしているのであり、そのような決心を取り消せば、ライフスタイルを変えることは可能です。 ここで「性格」という言葉を使わず、あえて「ライフスタイル」という言葉を使うのは、性格という言葉に含まれる変わりにくいものだというニュアンスを一掃したいというねらいがあります。(Loc 378)
アドラーは人間の悩みはすべて対人関係の悩みである、といっています(『個人心理学講義』二六頁)。(Loc 415)
このように行動を止めないのは、子どもが親や教師から注目を引き出そうとしているからであり、注目を引くことを目的として行動している子どもに注意をするというような注目の仕方をすれば当然その行動を止めるどころか続けることになります。(Loc 455)
アドラーは、「なぜ」という問いは、心理学者でも答えるのはむずかしい、といいます(『子どもの教育』三一頁)。このように問われただけでは「なぜ」という言葉がどういう意味があるのかがはっきりしないからです。(Loc 458)
私たちが感情をある目的のために使うのであって、感情が私たちを後ろから押して支配するとは考えません。(Loc 471)
原因をこのように過去や外的なことに求めてもそれらを変えることは事実上不可能なことなのです。(Loc 546)
アドラーは力によるのではなく言葉を使って問題を解決することが重要である、と考えました。(Loc 859)
大人がモデルとなって子どもたちが暴力を使うことを学んだということは十分考えられます。(Loc 873)
言葉によって問題解決を図らないことの背景には、相手を自分より劣ったものと見なしていて、話してもわからないだろうという思い込みがあるということです。(Loc 884)
人は水平面に生きている、人は皆それぞれの出発点、目標を持って前に進んで行くのだ、そこには優劣はなく、ただ先に行く人と後を行く人がいるだけで、しかしその皆が協力して全体として進化していくのである、といっています。(Loc 899)
アドラー心理学では、縦の人間関係は精神的な健康を損なうもっとも大きな要因であると考える、(Loc 1004)
また社会通念や常識を持つことが重要である、とここでいわれているわけではありません。社会通念、常識そのものがそもそも誤っていることもあるからです。先に私たちは客観的な世界に生きているのではなく、自分で意味づけした世界に生きているということを見ました。(Loc 1154)
実際には何も因果関係のないところに、因果関係を見出すということですが、そうすることの目的は、自分の行動の責任を他のものに転嫁することです。遺伝や親の育て方、環境等々を自分が今こんなふうになっているということの原因に見せかけるわけです。(Loc 1433)
私は他の人の期待を満たすために生きているのではない(Loc 1590)
主張したいことがあれば、ストレートに主張すればいいのです。(Loc 1711)
ですから、一度、これまでのことはすべて水に流して、今日私はこの人と初めて会うのだ、と思ってみるのです。(Loc 1805)
一週間前どころか昨日すら存在しないと考えてみると、たしかにこの人は、嫌なことをいったかもしれないが、しかし今日同じことをこの人がいう、あるいは、するとは限らないわけです。そう思って付き合い始めます。そうすると、思いもかけない発見があります。そのように思えて初めて、その人との時間は死んだものではなく、生きたものになります。今日という日は、昨日の繰り返し、延長ではないのです。(Loc 1811)
私たちのしていることは何らかの形で全体に繋がっていきます。(Loc 1921)