[読書メモ][Kindle]『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』
「説得的な歴史観の下で、正確な叙述で表わされた歴史書は、どんな時代にも古くささを感じさせるものではないし、どんな時代にも有益なヒントをあたえてくれる」ものである[…]。(Loc 40)
不思議なことに、人は不幸な時ばかりでなく幸福な時にも、神の正義を問いたくなるものである。自分が幸福なのはなぜか、という問いである。そしてその答えはきまって、「それは偶然ではなく、正当な根拠があるのだ」というものである。幸福な人は、誰もがそう思いたいのである。なぜなら、もし偶然に幸福なだけであれば、いずれその幸福は失われるかもしれないからである。(Loc 266)
それは、ヘブライ語が「諸言語の母」だからである。これを学ぶことは「紳士のたしなみ」と考えられていた。ヘブライ語は、数学と並ぶ「完全言語」とされた。それは、始祖アダムが話していた言語であり、神が創造世界を書いた言語である。(Loc 412)
リベラルアーツ教育の理念は「教養ある紳士」を作ることであり、そのためには聖書の言語を学んでその内容を自由に語ることができなければならない。プロテスタント教会における聖職者像とは、特別に聖なる身分で秘蹟を行う者ではなく、説教という手段で教育を行う者なのである。(Loc 450)
宗教改革によって誕生したプロテスタント教会は、聖書を重んじる「聖書原理」に加えて、「万人祭司」という原理をもつ。これは、神と人との仲立ちをするのは聖職者だけではない、という意味である。(Loc 453)
すべての信徒が自分で聖書を読み、自分でそのメッセージを受け止めることができるようになるのが理想だ、ということである。(Loc 456)
キリスト教に限らず、およそ宗教には「人工的に築き上げられた高慢な知性」よりも「素朴で謙遜な無知」の方が尊い、という基本感覚が存在する。神の真理は、インテリだけがわかるようでは困る。それに触れれば誰もが理解できるような真理でなければならない。とりわけアメリカは、ヨーロッパという旧い世界との対比で自分のことを考える。ヨーロッパは、知的で文化的だが、頽廃した罪の世界である。自分たちはそこを脱して新しい世界を作ったのだ。だから人間の作り上げたそういう文化的な知よりも、聖書が説く神的な原初の知へと回帰したい、というのが彼らの願いなのである。(Loc 1012)
そもそもキリスト教の伝道者となるためには、牧師の資格は不要である。どこかの教会で正規の伝道者と認定してもらう必要もない。いや、そんな資格だの肩書きだのがあっても伝道には何の役にも立たず、かえって邪魔になるだけだ。神の言葉を宣べ伝えるのに必要なのは、地上の権威ではなく神ご自身の承認である、というのがその根本的な確信の在り処なのである。(Loc 2866)
代々世襲で受け継いでゆく「知的特権階級」(Loc 2892)
反知性主義の原点にあるのは、この徹底した平等主義である。本書の冒頭で説明したように、反知性主義は、知性そのものに対する反感ではない。知性が世襲的な特権階級だけの独占的な所有物になることへの反感である。つまり、誰もが平等なスタート地点に立つことができればよい。世代を越えて特権が固定されることなく、新しい世代ごとに平等にチャンスが与えられればよいのである。(Loc 2896)
それぞれの宗教団体は、市民の自発的な参加と支援なくしては存続できない。だからどの教会も、市場原理による自由競争にさらされ、人を集められなければ解散という憂き目に遭うことになる。どんなに立派な説教を語っても、つまらなければ人は来ない。(Loc 3049)
教会は、いきおい大衆に迎合する路線を取らざるを得なくなった。(Loc 3053)
知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。(Loc 3242)
知性が大学や研究所といった本来あるべきところに集積され、それが本来果たすべき機能に専念していると見なされる場合には、反知性主義はさして頭をもたげない。しかし、ひとたびそれらの機関やその構成員が政治権力にお墨付きを与える存在とみなされるようになったり、専門以外の領域でも権威として振る舞うようになったりすると、強い反感を呼び起こす。つまり反知性主義は、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。知的な特権階級が存在することに対する反感である。(Loc 3246)
アメリカは中世なき近代であり、宗教改革なきプロテスタンティズムであり、王や貴族の時代を飛び越えていきなり共和制になった国である。こうした伝統的な権威構造が欠落した社会では、知識人の果たす役割も突出していたに違いない。それが本書で辿ったアメリカの歴史であるが、反知性主義はそれと同時に生まれた双子の片割れのような存在である。(Loc 3255)
このようなラディカルな平等主義を支えているのは、エスタブリッシュメントに対する宗教的な異議申し立ての権利である。この権利は、信仰復興運動によって一般大衆一人一人の手にあることが確認された。反知性主義は、どんな学問のどんな権威も「ぶっとばす」ことができる。その拠り所を提供しているのが、宗教的に基礎づけられたラディカルな平等意識である。(Loc 3272)
ここが肝心なのだが、「剣道は勝ち負けではない」と言い切るためには、日本の剣道は常にトップであり続けなければならない。(Loc 3414)
常勝の日本が「剣道は勝ち負けではない」と言うからこそ、この言葉には力があるのである。そうでなければ、それはただの負け惜しみにしか聞こえないだろう。(Loc 3417)
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